沖縄県の政治・経済・文化の中心都市であり、観光拠点としての役割も担う那覇市を街歩きしました。
 沖縄県の玄関口として 国内 アジア各国から多くの人が訪れています。
 
 ゆいレールに乗ると 中心部はモダンなビルに囲まれており いかにも近代都市。
 首里まで 丘陵地はびっしりと住宅で埋め尽くされているので 意外と大きな街に感じますが 
 那覇市単体の人口は約30万人で狭い市域に飽和状態。都市圏として見ると75万人都市圏を形成しています。
 今なお大きく変化を続ける町で バイタリティを感じる魅力あふれる街でした。

 それでは私が探訪した 那覇市のさまざまなスポットをご紹介しましょう。
 
  奇跡の1マイル・国際通り

 沖縄最大の繁華街・国際通りは 戦後すぐに復興し、"奇蹟の一マイル"と呼ばれました。(意外な事に国際通りには起伏があり端から端を見渡す事が出来ません)

 最も繁華なエリアは 中央部にあるむつみ橋交差点付近で 
三越やOPA(ファッションビル)があり OPAの最上階のタワーレコードには沖縄インディーズレーベルのCDが揃います。
中に入る通りに 平和通り むつみ橋通り 市場本通りというアーケード街があります。

意外な事に 国際通りやそこから派生するアーケード街には パチンコ屋がありません。
 ネオンサインや看板も 本土のある程度の都市の歓楽街なら
オッペン化粧品やアサヒビールなど メジャー企業のネオンが数多くあるものですが それが見当たらないんですよね。
 ビジネス客や観光客の多くが那覇を訪れており 目抜き通りだった国際通りは、従来は地元の人を対象とした店が多かったのですが、観光客の増加により観光客相手の土産品店が立ち並ぶ店が増え、現在では観光客のテーマパーク的様相を呈しています。
 まるで土産屋通りになっていて 本土人が本土人にお土産売ってる(苦笑)ような状況。売られる商品もほとんど一緒です。
 逆に 普通の都市にあるような リーガルシューズ店など中規模以上の街にあるような店舗や歴史ある老舗が姿を消しています。 
 
 通りを歩けば琉球三線の音、琉球民謡音楽が聞こえます。ただ 涙そうそう、ハイサイおじさん、島唄といったポピュラーすぎる曲が聞こえてくると 終いには辟易するかもしれません(笑)。

ただ 夜も賑やかなので散策は楽しく 那覇にステイするなら
歩いてみる事をお薦めします。
OPA 那覇
本土にあるファッションビルが
那覇にもあり 若者向ブランド
が集まる情報発信基地です
最上階にはタワレコも。
沖縄三越
日本復帰後に出来た
本土系の百貨店
大きな店舗面積ではないが
ゼファー那覇タワーは、
海洋博に合せて出来た
もので2007年までは
沖縄一高いビルでした
てんぶす那覇
那覇市の伝統工芸館で
琉球舞踊 紅型 首里織など
沖縄の伝統工芸が体験可能
賑やかな むつみ橋通りと市場本通り
この付近が最も繁華なエリア
平和通り商店街
奥に進むと牧志公設市場
国際通り お土産屋の店頭
Tシャツやアジアン雑貨の店は沢山
 日本復帰してからは 航空会社と大手旅行会社が観光投資を行い 沖縄の観光業者を傘下に パッケージツアーを組織化させ 廉価に販売し 観光産業が急成長していきました。 

 沖縄県の第3次産業就業者比率は 47都道府県では東京に次ぎ2位で 第3次産業が肥大している社会です。基地や財政への依存体質と観光業の成長によるものですが 自立経済の展望にとっては大きな課題といえそうです。
国際通りの基幹産業は観光 観光案内所は20時でも営業
 市場街…これこそ那覇観光の真骨頂
市場本通り 平和通りアーケードを奥に奥に進む
 入口こそ土産店が軒を連ねますが 奥に入るに従って生活感が濃厚になってきて 本土の商店街と大きく違う事に驚かされます。地元の人が普通に利用している商店街が 複雑に咬み合い
奥の方は “大阪西成の新今宮以上”に店は妖しく 沖縄弁で喋られてると何喋ってるのか分りませんから アジアの街に入り込んだ気分になってしまいます(笑)。
 牧志公設市場 ダイナミックな沖縄の胃袋
 市場本通りには那覇市牧志公設市場がありますが 
ここが小アジア・琉球を感じさせる混沌としたエリアで 
本土で滅多に見ることの出来ない原色の魚 豚の顔皮 豚足などあらゆる部分が売られる小さな肉屋が建ち並ぶさまは壮観です。
(琉球料理は豚を余すことなく各部位をふんだんに使う)
店名も沖縄独特の苗字です。

 牧志公設市場の2階に食堂街があるのですが これがまた40年前の大衆食堂がそのまま残るという感じで 普通の沖縄料理が食べられます。(ソーキそばを注文して食べてみました)
1階の市場で買った魚を 2階の食堂で料理してもらう事も出来ます。市場の食堂だけに観光客価格ではないのも狙い目では。

狭い店に商品が積み上げられ 威勢の良い声が聞こえる アジア的喧騒 混沌 生活臭。
沖縄にハマる人はこんな部分が好きなのでしょうね。
唐揚げにしたら美味いとか 中国の影響を受けているようで 沖縄では豚の色々な部位を食用に使いきります。
観光客多い為 撮影も煩く言われなかった トロピカルフルーツも沖縄産は多い 牧志公設市場2階の食堂街 安くお薦め
 那覇市内の夜
 沖縄の盛り場は夜型で 21時を過ぎても人通りが多いです。23時近くでも開いている土産屋もあり 食や酒をたっぷりと満喫してみるのもいいかも。私は沖縄の安いステーキを食べに行きました。

 治安面では癖悪い人に絡まれるとか、あからさまに怪しそうな裏道に入らない限りは問題ないと思います。(米兵は那覇よりは中部(コザ、北谷)に多いのです)
 27年も米軍占領下にあった戦後沖縄の特殊性と 米軍基地が未だに75%も集中したままという代償の意味も含めて『沖縄振興法』という特例措置が認められ
酒税が安かったり ビーフステーキでも安いのです。

 夜でも活気のある那覇市、 1945年の沖縄戦では完全に破壊され焦土になりました。
全てが戦後の復興から生まれた市街といっても過言ではなく 現在の那覇市の港に近い市街地は 米軍に占領されたため 占領地の外側(山側)に人々が集い 都市計画など立てられないままに 無秩序に雑然とした街並みが作られました。
今の那覇市の姿にも 沖縄戦と米軍占領の歴史が刻まれているといえます。
     右写真は 夜の歓楽街 那覇市松山あたり(夜はキャッチが多いです(笑))。
 那覇市内ところどころ
国際通りを出た県庁前にあるのが 地元デパートのリウボウです
1991年にセゾングループの協力を得て パレットくもじ という
複合ショッピングビルとなっています。三越の入口にはライオンがありますが 
リウボウの入口にはシーサーがある所がやはり沖縄らしいですね。
県庁の隣には 那覇市役所があります
こちらの建物は老朽化しており
都市規模から考えると少し小さいので 
建替え時期もそう遠くないかもしれません

沖縄県庁前のリウボウ百貨店 奥に行くと国際通り
どれも特徴があって、見る者を飽きさせない玄関先のシーサー
沖縄は地方出版社の郷土本が多いので 
本屋に寄ってチェックするのも一興です。
福州園 琉球と親交の厚かった中国福州市との友好都市提携
      10周年を記念して 那覇市の松山に作られています。
 沖縄県庁舎 展望塔へ昇る
 那覇市内の展望が愉しめるスポット... 以前は那覇タワーがあったのですが現在は閉鎖されているので 沖縄県庁のビルの最上階に行ってみました。

 こちらの展望室からは西側の展望だけとなりますが 海や那覇の中心街が見えます。直射日光を遮る為、窓が壁から2m内側に入っています。

 展望室北側に喫茶室もありますから 那覇の街を見ながら珈琲もオツです。
建物は黒川紀章により設計 地上14階 伝統工芸・与那国織が県庁内に
 県庁通の突き当たりに聳えるのが 日本唯一のローカル損保 大同火災の本社
県内シェアは約50%で協栄生命と提携しています。
政治・文化の中心地であることから 県庁前そして久茂地、泉崎あたりは
沖縄銀 琉球銀 建設の国場組 そして放送局など多くの本社が存在しています。

 産業別従事者数は 基地や観光産業を中心とした第三次産業比率が高く 
近年は観光の比重が高まるなど いびつな発展をしていると思えますが
他に IT企業やコールセンター拠点を 人件費の安い沖縄に置くような企業もあると聞きますし
(これは県民経済を支えるほどのものではありませんが)
常夏の気候を利用したプレミアム花卉の生産拠点に好適という利点もあるのですね。
  雑居ビル マンションが建ち並ぶ那覇市内 
 亜熱帯の都市だけに白っぽいビルが多いのが那覇の特徴
 40平方キロ弱の面積に 人口が30万人 人口密度は東京特別区 大阪市 横浜市の次という
 飽和状態の過密都市となっており 人口のドーナツ化が進行しています。
 普通は衛星都市といえば 政令指定都市クラスになって派生するものですが
 那覇には浦添 豊見城、糸満 宜野湾など衛星都市を持ち 75万都市圏が形成されています。

 日本復帰直後はそうでもなかったものの 現在の那覇は、熊本や鹿児島に比肩するような
 市街地の展開が見られます。南国の離島で のんびりしたイメージを持たれていると卒倒するのでは。
 島の経済の中心として力強く発展
泉崎
那覇市の行政の中心地で、沖縄本島の主要交通機関
路線バスの中心地でもあります。

久茂地
金融機関や放送局などが立地するオフィス街で、
沖縄県の経済の中心地。道路は国道58号線です。

 国道58号などの幹線道路沿いは 本土系大資本のチェーンが多いので それほど差が目につきませんが それ以外は 道路沿いの看板のデザイン等を見ても 本土よりも10年遅れているといった印象。

 戦後27年間は米統治下におかれ 基地の島として独自の道を歩んでいました。
日本復帰後は巨額の振興開発費が投入され 社会基盤の整備こそ進みましたが
 大消費地から遠く、物流面のハンデも大きく、どうしても製造業などが育たない事から産業振興が遅れ、工業出荷額 県民所得(東京の半分以下) 教育水準も全国最低、完全失業率は本土の倍の数字が長年続き 以前は貧しい所だったのだなあ という爪痕は 街の中にもやはり所々残っています。
 焼き物の里 壷屋
 やちむんとは沖縄の言葉で焼き物の事です。
沖縄の焼き物は 繊細さ 煌びやかさというよりも 生活感に溢れた逞しさがあるのが特徴といえそうです。
壺屋焼は 大別すると荒焼と上焼があり 薩摩、中国や東南アジアの影響を受けて形成されてきました。伝統的な絵柄といえば 唐草模様や花、魚でしょうか...。

 国際通りから平和通りを抜け 50mの所から始まる 壺屋やちむん通りは 窯業復興のために琉球王府が1682年 知花、宝口、湧田の窯場を統合して出来た所との事です。 
壺屋焼の窯元 直売店が並び 昔ながらの面影を残す情緒ある街並みを散策し 写真撮影するのも愉しかったです。

 壺屋焼の事を深く知りたいむきには 那覇市立壺屋焼物博物館がありますから 時間があれば見物するのも良いと思います。
 新旧混然の那覇市街
沖縄の飲屋街には社交街というアーチがよくある(風俗街という訳ではない)
写真左から 亀宮通り社交街 桜坂社交街
一本奥の小道に入ると国際通りの喧騒が嘘のような 独特の雰囲気があります。
看板を見ると おでん屋にホームベース 呑み屋にセンターとか 変わった名前が多いです。

家の壁に“くすり”と書いてあります。こうしたセンスは40年前を感じさせます。
表通りの近代的なビルの裏には 琉球風の赤瓦屋根の民家が残る昔ながらの佇まいが混在しています。
バルコニーや階段に装飾が見られるコンクリート住宅があるなど
内地とは一味もふた味も違います。
 
 沖縄ならではの........
 朝日や読売などの全国紙は、輸送事情で朝刊配達が午後になってしまいます。
 従って沖縄県内では殆ど販売されておらず 新聞は地元紙ばかりです。琉球新報と沖縄タイムスで 何れも全国や海外ニュースの殆どは共同通信社に頼っています。
清涼飲料水は未だに110円 沖縄限定たばこ 沖縄での新聞は地方紙主体

那覇市内の旅なら こちらに挙げた中心部の他 首里エリアも楽しめます。
那覇市内限定だとレンタカーは必要ないですし(むしろあった方が邪魔かも)
宿泊施設や食事場所など選択肢が多いので 私はステイするなら那覇市内をお勧めしますね。


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