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観光客多い為 撮影も煩く言われなかった |
トロピカルフルーツも沖縄産は多い |
牧志公設市場2階の食堂街 安くお薦め |
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那覇市内の夜 |
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沖縄の盛り場は夜型で 21時を過ぎても人通りが多いです。23時近くでも開いている土産屋もあり 食や酒をたっぷりと満喫してみるのもいいかも。私は沖縄の安いステーキを食べに行きました。
治安面では癖悪い人に絡まれるとか、あからさまに怪しそうな裏道に入らない限りは問題ないと思います。(米兵は那覇よりは中部(コザ、北谷)に多いのです) |
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27年も米軍占領下にあった戦後沖縄の特殊性と 米軍基地が未だに75%も集中したままという代償の意味も含めて『沖縄振興法』という特例措置が認められ
酒税が安かったり ビーフステーキでも安いのです。
夜でも活気のある那覇市、 1945年の沖縄戦では完全に破壊され焦土になりました。
全てが戦後の復興から生まれた市街といっても過言ではなく 現在の那覇市の港に近い市街地は 米軍に占領されたため 占領地の外側(山側)に人々が集い 都市計画など立てられないままに 無秩序に雑然とした街並みが作られました。
今の那覇市の姿にも 沖縄戦と米軍占領の歴史が刻まれているといえます。
右写真は 夜の歓楽街 那覇市松山あたり(夜はキャッチが多いです(笑))。 |
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那覇市内ところどころ |
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国際通りを出た県庁前にあるのが 地元デパートのリウボウです
1991年にセゾングループの協力を得て パレットくもじ という
複合ショッピングビルとなっています。三越の入口にはライオンがありますが
リウボウの入口にはシーサーがある所がやはり沖縄らしいですね。 |
県庁の隣には 那覇市役所があります
こちらの建物は老朽化しており
都市規模から考えると少し小さいので
建替え時期もそう遠くないかもしれません |
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沖縄県庁前のリウボウ百貨店 奥に行くと国際通り
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どれも特徴があって、見る者を飽きさせない玄関先のシーサー |
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沖縄は地方出版社の郷土本が多いので
本屋に寄ってチェックするのも一興です。 |
福州園 琉球と親交の厚かった中国福州市との友好都市提携
10周年を記念して 那覇市の松山に作られています。 |
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沖縄県庁舎 展望塔へ昇る |
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那覇市内の展望が愉しめるスポット... 以前は那覇タワーがあったのですが現在は閉鎖されているので 沖縄県庁のビルの最上階に行ってみました。
こちらの展望室からは西側の展望だけとなりますが 海や那覇の中心街が見えます。直射日光を遮る為、窓が壁から2m内側に入っています。
展望室北側に喫茶室もありますから 那覇の街を見ながら珈琲もオツです。 |
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建物は黒川紀章により設計 地上14階 |
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伝統工芸・与那国織が県庁内に |
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県庁通の突き当たりに聳えるのが 日本唯一のローカル損保 大同火災の本社
県内シェアは約50%で協栄生命と提携しています。
政治・文化の中心地であることから 県庁前そして久茂地、泉崎あたりは
沖縄銀 琉球銀 建設の国場組 そして放送局など多くの本社が存在しています。
産業別従事者数は 基地や観光産業を中心とした第三次産業比率が高く
近年は観光の比重が高まるなど いびつな発展をしていると思えますが
他に IT企業やコールセンター拠点を 人件費の安い沖縄に置くような企業もあると聞きますし
(これは県民経済を支えるほどのものではありませんが)
常夏の気候を利用したプレミアム花卉の生産拠点に好適という利点もあるのですね。 |
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雑居ビル マンションが建ち並ぶ那覇市内
亜熱帯の都市だけに白っぽいビルが多いのが那覇の特徴
40平方キロ弱の面積に 人口が30万人 人口密度は東京特別区 大阪市 横浜市の次という
飽和状態の過密都市となっており 人口のドーナツ化が進行しています。
普通は衛星都市といえば 政令指定都市クラスになって派生するものですが
那覇には浦添 豊見城、糸満 宜野湾など衛星都市を持ち 75万都市圏が形成されています。
日本復帰直後はそうでもなかったものの 現在の那覇は、熊本や鹿児島に比肩するような
市街地の展開が見られます。南国の離島で のんびりしたイメージを持たれていると卒倒するのでは。 |
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島の経済の中心として力強く発展 |
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泉崎
那覇市の行政の中心地で、沖縄本島の主要交通機関
路線バスの中心地でもあります。 |
久茂地
金融機関や放送局などが立地するオフィス街で、
沖縄県の経済の中心地。道路は国道58号線です。
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国道58号などの幹線道路沿いは 本土系大資本のチェーンが多いので それほど差が目につきませんが それ以外は 道路沿いの看板のデザイン等を見ても 本土よりも10年遅れているといった印象。
戦後27年間は米統治下におかれ 基地の島として独自の道を歩んでいました。
日本復帰後は巨額の振興開発費が投入され 社会基盤の整備こそ進みましたが
大消費地から遠く、物流面のハンデも大きく、どうしても製造業などが育たない事から産業振興が遅れ、工業出荷額 県民所得(東京の半分以下) 教育水準も全国最低、完全失業率は本土の倍の数字が長年続き 以前は貧しい所だったのだなあ という爪痕は 街の中にもやはり所々残っています。 |
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焼き物の里 壷屋 |
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やちむんとは沖縄の言葉で焼き物の事です。
沖縄の焼き物は 繊細さ 煌びやかさというよりも 生活感に溢れた逞しさがあるのが特徴といえそうです。
壺屋焼は 大別すると荒焼と上焼があり 薩摩、中国や東南アジアの影響を受けて形成されてきました。伝統的な絵柄といえば 唐草模様や花、魚でしょうか...。
国際通りから平和通りを抜け 50mの所から始まる 壺屋やちむん通りは 窯業復興のために琉球王府が1682年 知花、宝口、湧田の窯場を統合して出来た所との事です。
壺屋焼の窯元 直売店が並び 昔ながらの面影を残す情緒ある街並みを散策し 写真撮影するのも愉しかったです。
壺屋焼の事を深く知りたいむきには 那覇市立壺屋焼物博物館がありますから 時間があれば見物するのも良いと思います。 |
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新旧混然の那覇市街 |
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沖縄の飲屋街には社交街というアーチがよくある(風俗街という訳ではない)
写真左から 亀宮通り社交街 桜坂社交街
一本奥の小道に入ると国際通りの喧騒が嘘のような 独特の雰囲気があります。 |
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看板を見ると おでん屋にホームベース 呑み屋にセンターとか 変わった名前が多いです。
家の壁に“くすり”と書いてあります。こうしたセンスは40年前を感じさせます。 |
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表通りの近代的なビルの裏には 琉球風の赤瓦屋根の民家が残る昔ながらの佇まいが混在しています。
バルコニーや階段に装飾が見られるコンクリート住宅があるなど
内地とは一味もふた味も違います。 |
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沖縄ならではの........ |
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朝日や読売などの全国紙は、輸送事情で朝刊配達が午後になってしまいます。
従って沖縄県内では殆ど販売されておらず 新聞は地元紙ばかりです。琉球新報と沖縄タイムスで 何れも全国や海外ニュースの殆どは共同通信社に頼っています。 |
清涼飲料水は未だに110円 |
沖縄限定たばこ |
沖縄での新聞は地方紙主体 |