那覇市首里にある 首里城公園に行ってきました。
琉球王朝の城跡で 沖縄で最も観光客の多いスポットです。
首里城跡は世界遺産に指定され 沖縄独自の様式で建てられています。 
  首里城
 首里城の創建年代は不明ですが 発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され
13世紀末から14世紀のグスク造営期に 他の沖縄の多くの城同様に建立したと考えられています。
 城は外郭と内郭からなり、御庭と呼ばれる広場に面して立つ正殿・北殿・南殿・奉神門などの建物は内郭に集中しています。

 第一の正門 歓会門(写真右)から入りました。
来客を歓迎する意味の歓会門は 両脇に一対の中国風獅子が鎮座しています。歓会門の次は瑞泉門となっており そこは泉水が湧く事からこの名が付けられました。
綺麗な石垣に高度な技術が.... 門の手前右側に湧水「龍樋 歓会門から瑞泉門への道 歓会門を内側より
瑞泉門を通り、漏刻門を抜けると、司法や寺社宗廟関係を司っていた楼閣・広福門があります
広福門
 ここは建物自体が門になっています。中央部分だけが2階建てで
王国時代には2つの役所も設置されていました。 
 現在は入場券売り場になっており この奥から有料エリアになります。
ここから斜め左の奉神門から 正殿のある御庭に入る事が出来ます。

 御庭に入ってみると 南殿(正殿の右側)は、薩摩藩の接待の為に使われただけに、
ここのみ日本風の意匠になっているのが興味深かったです。 
琉球王国が日本と中国との力関係を見ながら ナントカ立ち回っていた様子が見て取れます。(満足な写真が撮れなかったのはご勘弁(^^;))
首里城正殿
本土の天守閣とは大きく異なっています
左側に北殿 右側に南殿・番所といわれる建物があります
前の広場は 御庭と呼ばれ儀式が行われていました。
沖縄の地理的条件がそうさせたのか 日本本土の城とは異なり、中国の城の影響を大きく受け “中国と日本のあいの子”といった感じの首里城。
龍が多用され 門や各種の建物は朱塗り、屋根瓦は赤瓦
御庭から正殿を見て 中国の紫禁城を想い出しました。
   四方を建物に囲まれた御庭の広場は、
   琉球王朝時代の儀式では 官吏達が位の高い順に並ぶ場所
   で上写真の様に並ぶ目印に、縞模様に石を敷いたようです。
 龍が縁起物だったようで、建物の至る所に龍の装飾が施されています。
 トイレの洗面所の蛇口までもが龍の口だったのには驚かされましたが..(笑)。
唐破風妻飾
唐破風の妻壁の中央に 火焔宝珠
両脇に金龍と瑞雲の彫刻を施しています
正殿前の大龍柱は
左右あり高さは4.1m
龍は正殿に33体棲む
   金龍と獅子 
   正殿は様々な彫刻で飾られ
   優れた琉球工芸技術が見られます
 正殿は首里城の中心的な建物で 本土の城で云う天守閣に相当します。
木造三階建ての本瓦葺の1階は「下庫理」で 国王自ら政治や儀式を執り行う場所、
2階は「大庫理」という国王と親族、女官が儀式を行う場所、そして3階が屋根裏部屋でした。
琉球王国最大の木造建築物だった正殿は 沖縄戦をはじめ過去4回 焼失と再建を繰り返しました。

 首里城では 琉球王朝時代を彷彿とさせる儀式も行われています
新春の宴「朝拝御規式」、中秋の宴、首里城祭「冊封儀式」の3つですが
それに合わせて訪問されると より良い思い出になるかもしれません。

右写真は書院・鎖の間庭園です。 
琉球の城の中で庭があったのが分かっているのが首里城だけで 琉球石灰岩を
上手く利用した作りになっています。 
南殿は所蔵品の展示がなされていました。左から2枚目の写真は琉球国王の印(復刻)

書院・鎖の間(写真左)国王が日常の政務を行い中国冊封使や薩摩役人を接待していました。
正殿に上がり まず目に飛び込んできたのは、きらびやかな御座床(国王の玉座)です。
 私の2000円デジカメ(笑)は暗所に弱く、画像では十分に表現できませんでしたが、金箔や漆をふんだんに使った豪勢な作りでした。
 北殿は、中国の冊封使歓待やペリー提督を接待した場所だったようですが、沖縄サミットが開催された時もここでレセプションが開かれました。図らずも時を超えて同じ目的で使われた事に少なからず驚きました。
 現在では、映像・展示 休憩コーナー、お土産屋などに使われています。首里城復元作業の貴重なフィルムも上映されているので 興味のある人は是非!。
首里城の石垣
 城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられています。
来閣した人々に威圧感を与えないように 石垣をカーブさせて柔らかく迎えていました(左写真参照)。
この優しい心づかい 琉球王朝の伝統でもあったのです。
 首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域です。
以前は城内には十ヶ所の御嶽があり 敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象でした。

 首里城の入館券(右写真→)
大人800円で ゆいレール一日乗車券提示で640円になります。
西のアザナ 
首里城公園の西側にあるこの高台からは 那覇市内の展望が楽しめます。
この物見台から鐘を鳴らして時を知らせたようです。
人口密度が都道府県都では大阪市 横浜市に次ぐ那覇市。夜景を見に行っても 最高でしょうネ!
 
 首里城が琉球王朝の拠点となったのが1400年頃で それから450年間が琉球王朝の中心でした。
琉球王朝が独自の王朝となっていたのは 1400年から1600年頃までの200年で
まず最初に薩摩藩・島津義久が朝鮮出兵の兵と食糧を供出させて
1609年には薩摩藩兵士3,000人が首里城を占拠し 王や重臣が薩摩に人質に取られた形となりました。それ以来 琉球は薩摩に支配された属国となってしまったのです。

 ただ江戸幕府は 異国をも支配していると誇示させるためか
琉球を日本領土として同化させずに 異文化圏として存続させる事にしました。
(この頃の琉球は日清両属という状態でした。)

 明治に入り 琉球藩が成立したと思いきや 今度は明治11年には明治政府軍が首里城明け渡しを迫り 廃藩置県で沖縄県が誕生しました。
これも 早い所日本に編入していないと 清の侵攻を招き 
清の領土になってしまう事を危惧した為なのです。

 首里城には今度は日本軍(熊本鎮台沖縄分遺隊)が駐屯する事になりました。
それでも沖縄県内最大規模の城郭として 戦前は正殿などが国宝になっていました。

 地下に日本軍の沖縄総司令部が置かれていたため 
戦場となった沖縄戦では 石垣も含めて米軍に完全に破壊されてしまいました。
戦後はそこに琉球大学が建っていました。1980年代前半に琉球大学が西郊へ移転し、本格的な復元は1980年代末から始まり 1992年に、正殿などが復元されました。
2000年には首里城跡がユネスコの世界文化遺産に指定されました。

 本来の木造建築として復元された建物は正殿だけで 他はコンクリートを用いるなど外観のみの復元のため 世界遺産に登録されたのは「首里城」ではなく「首里城跡」です。現在でも修復整備が進められています。

 歴史を紐解けば 沖縄には常に他国の兵隊が居たという訳ですが 西太平洋の要石という地理的条件で 常に外敵にさらされ 美しい首里城を取り巻く歴史は 非常に重苦しく辛いものだった事が分かります。(極彩色の城であるに関わらず どこか陰鬱な感じがしたのはこのような歴史的背景があったからなのです) 

 再建されたものとはいえ、首里城は大変素晴らしいですし、首里場内に展示されている物も立派な物です。守礼門など含めると1時間半は見ておきたいですね。
 沖縄のシンボル 守礼門
 守礼門は、首里城北側を東西に貫く通り「綾門大道」の東側にある牌楼型の楼門です。
柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いています。
日本城郭でいう首里城の大手門に値する門で 沖縄戦では焼失しましたが、
1958年に再建され 日本復帰時に県指定文化財となりました。

二千円札の絵柄にも使用された沖縄観光のシンボルとして 多くの観光客を集めていました。
 琉球王国第二尚氏王朝4代目の尚清王(在位1527〜1555)の時創建され 当時は板葺きで、扁額は「待賢」でした。その後「首里」の扁額、「守禮之邦」の扁額が掲げられ 中国から冊封使が来ている間は「守禮之邦」の扁額を掲げ、それ以外の期間「首里」の扁額を掲げたようです。
9代尚質王(在位1648〜1668)から「守禮之邦」の扁額を常掲しはじめたと云われています。
「守禮之邦」という言葉は、尚永の冊封
の際の中国皇帝からの詔勅にあった
文言で、「琉球は守礼の邦と称するに
足りる」というくだりから来ています。

ところで守礼門は正式名称ではなく、
実はそこに掲げられた扁額の
「守禮之邦」からきている俗称です。
本来は「上の綾門」という名称です。



 守礼門付近で
 琉装での撮影も
 良い記念にな
 るでしょうね。
 古都 首里を散策
 王朝文化が華やかに繰り広げられた城や別邸 信仰の対象 墳墓などの建造物が
沖縄の魅力だといえましょう。 琉球王国の首府で古都だった首里を歴史散策してみました。

 古都として栄えた首里は 現在は那覇市の一部(1950年代は首里市だった)ですが
米軍基地から離れた高台にある古都文教エリアとして 那覇市内でもグレードの高いエリアとして 
住居を求める人には人気のあるエリアで 首里の人は今も首里に住む事がステータスだと思っているとか。
龍潭
琉球王朝時代、中国からの使者・冊封使歓待用に作られた池で
池に舟を浮かべる「龍舟の宴」が開催されたようです。
琉球王国は 中国から“狭い国土と思われたくなかった”らしく 
見栄張って(笑)内陸にわざわざこんな人工池を作ったのだとか。
遠くに首里城が見えるこの場所 景色が気に入りました。
   世界遺産・園比屋武嶽石門
   首里城正殿の近くになり 門内は王朝時代の国家的精神の
   拠り所となっていたので石門が御嶽の拝所になっています。
   1519年 第二尚氏王統第3代王の尚真のときに造られました。
   沖縄戦では戦禍を被りましたが 1957年に復元されました。
金城町の石畳道

 1522年に作られたこの石畳道は 首里城から郊外へ続く道として重要な道だったようです。
琉球石灰岩を使用して作られた石畳 赤瓦屋根の民家が軒を連ねて
今もなお 古都首里の面影を残していました。この辺りは奇跡的に
沖縄戦での戦火を免れ 昔の面影を偲ぶ事が出来ます。
日本の道100選、沖縄県の史跡・名勝にも選ばれています。
雰囲気も良く 首里城からもそう遠くないので 是非歩かれる事をお勧め! 長さ300mほど。
もちろん写真撮影にも絶好の素材といえます。
金城町の石畳坂を降りた所に「金城村屋」という無料休憩所があります。
伝統的な琉球木造建築を再現し 自由に上がって散策で疲れた足を休ませるのは良いですね。
弁財天堂と円鑑池あたり
円鑑池と弁財天堂(写真左)
朝鮮王から贈られた方冊蔵経を収める為建てられたもので1969年に復元されました。
円鑑池の中に築かれた小島の上に建っています。

円鑑池に首里城からの湧水・雨水が集まるのです。

円覚寺跡(写真右側)
円覚寺は1494年に創建され 代々第二尚氏王朝の菩提寺で、琉球の臨済宗派の総本山でした。
 世界遺産・玉陵(たまうどぅん)
 首里城の西側麓にある 世界遺産、国指定重要文化財 
玉陵に行ってみました。
1501年に建てられた第二尚氏王統の墓陵で 寸分の隙間もなく 堅牢な造りが特徴です。
 沖縄独特の石造りの3つの墓室からなり 東室には歴代王と王妃 西室には墓前庭の玉陵碑に記された限られた家族が 静かに眠っています。
 全体の作りは 当時の板葺屋根の宮殿を表した石造建築で
石垣は2mに及ぶ高さ、前庭に敷き詰められたサンゴ細片の
砂利も美しく “亜細亜の王朝の栄華”を伺い知る事が出来 
大変印象に残りました。 
    沖縄戦でここも大きな被害を受けたようですが
    往時の姿をそのままに 1997年修復されました。
    入場は高校生以上200円ですが 
    ゆいレール一日乗車券利用者は100円で入れます。

 首里城や国際通りなど那覇市内の観光スポットを巡るなら ゆいレールがお薦めです。1日乗車券で 首里城入場料は800円→640円 世界遺産の玉陵入場料200円→100円になるなど特典もあります。 
空港〜那覇市中心部〜世界遺産を含んだ一大観光地を直結し便利です。
 首里城は本土の城とは歴史的価値も趣も大きく異なりますが、
沖縄戦で消滅した数々の建築物は見事に再現されており、
その華麗さは、まさに見応え充分でした。
  
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