 |
北原白秋ゆかりの町 |
 |
柳川の川下りを楽しんだ後には 北原白秋の生家と記念館を訪ねました。 生家・記念館は柳川市沖端に位置しています。
生家は大火に遭いましたが こちらの母屋だけが残り、昭和44年に復元されました。
北原白秋は日本近代文学に偉大な足跡を残した詩人、童謡作家、歌人です。明治18年に柳川で生まれ 本名は北原隆吉。 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」「ちゃっきり節」)の分野にも傑作を残し
昭和17年 その生涯を閉じるまでに数多くの詩歌を残し、童謡も今なお歌い継がれています。
活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人です。 |
|
 |
 |
 |
 |
 |

こちらの館内でも、白秋の詩業 遺品など多数見られ、ありし日の面影を偲ぶ事ができます。
さらにここでは、白秋作品にちなんだ水郷柳川の民俗資料を多く紹介しています。
実に興味深く見応えのある記念館だと感じました。 |

北原白秋生家の隣(北原家の広大な旧跡地の一隅)に 北原白秋記念館があります。
建物の外観は、柳川独特の“なまこ壁”の土蔵作りです。
昭和60年に、白秋生誕100年を記念してこの記念館(資料館)が誕生しました。 |
 |
 |
柳川藩主・立花邸 御花 |
 |
旧柳川藩主・立花家の別邸であった「御花」を訪ねました。
御花の起源ですが、
柳川藩主・立花鑑虎が元禄10年(1697年)に普請方の田尻惟貞(惣助)に命じ 総面積約7,000坪の「集景亭」という別邸を構え、遊息の地としました。
その後 元文三年(1738年)、治世中の五代藩主・立花貞俶は、
政務の疲れを癒し、家族と和やかに過ごせる場所として、
柳川城二の丸座敷を移築するなどの普請が加えられ、御花畠と命名されました。
そこから地元の人々は親しみを込めて「御花」と呼ぶようにったようです。「御花」は建物の名前ではなく、敷地や全体を称して呼ばれています。 |
 |
 |
明治時代になると 立花伯爵家の邸宅となり大拡張されます。
立花寛治伯爵は明治42年〜43年にかけて 西洋館(迎賓館)と それに続く和館(大広間)
の邸宅を作り 「松濤園」という庭園も造成されました。
そして昭和25年に、立花家16代当主立花和雄が『柳川御花』として 現在に見られる料亭と旅館の営業を開始しました。 |
 |
 |
 |
西洋館は立花家の迎賓館として 明治43年に造られました。
当時 既に自家発電所を設け 輸入品のシャンデリアや電気器具を使っていました。
今もランプシェイドなど多くの設備が当時のまま残されています。
大広間は客室として作られたもので 全て木曾檜を使い
中の間、三の間の床は 畳を取り除くと能舞台となります。 |
豊臣秀吉の九州平定の際に 豊後大友氏の先陣として活躍した立花宗茂は その功によって筑後13万石の城主として 柳川を城主として定めました。
その後 関が原の戦で 秀吉への恩義から西軍に味方した宗茂は 柳川を追われました。
しかし 徳川家の信頼を得た宗茂は 20年後の1620年に 世襲の途絶えた田中氏に代わって 再び柳川藩藩主として 奇跡的に復活したのです。 |
 |
 |
|
 |
ここで有名な庭園「松濤園」は 呼称の通りにクロマツに囲まれた池庭で、座敷からの眺望を楽しむ池泉観賞式の庭園です。
庭園面積が2800平方メートルあり
園内には約280本のクロマツ、大部分は200年以上の古木、庭石1500個,石灯籠14基があり,
沓脱石の巨石は旧天守閣の台石を移したといわています。
園池のなかの二つの島と多数の岩島、そして水面は、松島を模したそうです。
池庭に大小の中島や岩島を配しながら,大海を表現し、
周囲にクロマツが繁る優美な庭景を見せる名園として、
昭和53年に国の名勝の指定を受けています。
平成23年には松濤園を含む敷地全体が「立花氏庭園」として国の名勝にも指定されました。 |
 |
冬には野鴨が飛来する見事な風物詩を見せてくれます。
大広間前の巨石は旧天守閣の台石だと云われています。
お食事処 対月館(下写真)
柳川名物のうなぎ、有明海珍味の郷土料理や鴨料理を 庭園を眺めながら賞味できます。もちろん喫茶や休憩処としても気軽に利用できます。 |
 |
 |
 |
 |
現在、立花邸は「御花」となって、料亭、ホテル、史料館などの施設となり 国の名勝に指定されています。
勿論柳川のお土産なども 「御花」内の売店で購入できます。
写真は柳川地方伝統 さげもん飾り
御花入園料は 一般500円、高校生300円、小中学生200円
立花家が経営する観光旅館ではありますが、宿泊者でなくとも観光出来ます。 |
 |
その他の名所と水郷の風景、味覚 |
 |
 |
柳川市観光案内所 (写真左)
旧戸島氏邸 (写真左から2枚目)
私が行った日は休館日でしたので 外観のみの撮影です。
立花藩勘定方吉田舎人兼傳が 完成年間(1789〜1810)に建てた萱葺入母屋平屋の茶室とそれに付随した庭園です。
のちに藩主に献上され 柳川藩主の茶室として利用されました。
庭園は国指定名勝で 建物は福岡県指定文化財です。 |
 |
 柳川は700年前の室町時代から 城主をいただく城下町となり
江戸時代は立花家の治世となりました。
市内を縦横にめぐっている水路網「堀割」の総延長は930キロ。
約400年前、旧柳川藩主の田中吉政らが 城の防御、生活(炊事・洗濯・飲料水)、農業用水、物資の輸送等の為に作ったという事です。市街と水路が隔てなく隣接し、住民の暮らしに溶け込んでいるようです。 |
高度経済成長で水質汚濁するまでは、水は沸かしてお茶を入れるなど飲用にも用いられていました。
柳川での堀割の水利用には厳格な決まりも存在し、日中は城堀に水を溜め、夜間のみ下流の田畑に取水できるなどの慣例があったそうです。 |
 |
 |
 |
古くから町の基盤をなし、市民の生活や生産と密接にかかわり、重要な役割を果たした堀割。
市は堀割を生かした町造りに取り組んでおり 「柳川市掘割を守り育てる条例」など 水の保全に懸命です。 |
 |
 |
 |
堀割沿いの道は
「日本の道百選」にも選ばれています |
水天宮
GWには水天宮まつりも行われます。 |
川下り煎餅の店
町を歩くと情緒ある土産店も点在......。 |
|
 |

うなぎのせいろむし
硬めのご飯にタレをまぶして蒸し、香ばしく焼いたうなぎの蒲焼きを載せ再度蒸し、錦糸卵を散らした柳川名物「せいろ蒸し」。
10数軒の店が各店秘伝の焼き方や蒸し方、味付けで腕を競っています。
私は鰻のせいろ蒸しを頂きましたが、それ以外にも柳川は
有明海で捕れるワタリガニ、有明海苔の佃煮 柳川鍋など
美味しそうなものが目白押しです。
新聞の折込チラシの旅行案内で、ハウステンボス〜柳川のパック旅行がたまにありますが。
安いツアーだと、柳川では鰻の昼食だけ食べて 約30分ほど美観地区を見るだけで終わり(笑) というのも少なくないようです。 |
 |
 |

堀割の整備、夜間のライトアップ整備、柳川特有のランドマークの確立などで 素晴らしい風光明媚な都市になれるのではないかと感じました。
西鉄柳川駅と西鉄特急
柳川へはJRが通じていません、福岡天神から西鉄特急に乗ると便利です。西鉄を絡めた柳川観光きっぷも幾種かあります。 |
 |
 |
 |
 |