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 “越中富山の薬売り”で名高く 城下町として栄えた 富山県富山市に行ってきました。
北陸地方では面積最大の都市で人口は42万人。中核市の指定を受け国際会議観光都市でもあります。
戦災で 城下町としての入り組んだ町並みや面影は残っていませんが
虚飾よりも実質を尊ぶ県民性が 燻し銀的個性を湛えた県都を造り上げたのだ と感じました。
 
 富山駅を降りて
JR富山駅 富山駅前広場 東側は商業施設 駅から県庁、市役所に続くすずかけ通り

現在 新幹線延伸を見越して 富山駅の高架化・区画整理が予定されており、
駅周辺再開発でハコモノが多い感があります。 駅周辺は今後も発展すると考えられます

 富山の路面電車

路線は市内中心部を通り 大学前から南富山駅前を結びます
運賃は1回200円。
富山城址 富山県庁 富山駅 総曲輪・西町など 市内主要部を
通るので便利です。薬資料館の「広貫堂前」まで乗ってみました。
 薬のまち富山・広貫堂資料館
 六神丸で有名な老舗で 富山市梅沢町にあります。
敷地内には広貫堂資料館が設置され 一般開放されています。
300年に及ぶ売薬の歴史を7分程度のビデオで紹介してくれました。 レトロな包み紙の薬や グッズ販売も人気です。 

広貫堂正門前の向かいには 薬学教育発祥之地碑が置かれています。
 富山で薬種商が始まったのはは16世紀中頃で、17世紀初期から中頃にかけて丸剤や散剤を製薬する専業店が現れました。
当初は薬の販売のみ行っていましたが、やがて成薬業に移ったようです。
 1639年に加賀藩から分藩した富山藩は 多くの家臣や参勤交代・幕府の委託事業などで財政が苦しく 経済基盤を作るため 売薬商法を武器に生き延びようとしました。

 17世紀終期、富山藩第2代藩主前田正甫が薬に興味を持ち、合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発されました。これが富山薬の基礎となります。
1690年に江戸城で腹痛になった某国藩主に正甫が反魂丹を服用させたところ、腹痛が驚異的に回復し それに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になりました。

 18世紀には薬は富山藩の一大事業になり、藩の援助と取締りのもと越中売薬は種類を広げ 販路を拡大していきました。
 富山売薬の基本となっているのは“先用後利”の置き薬です。この伝統は元禄時代から現代まで脈々と受け継がれ
先用後利とは「用いることを先にし、利益は後から」というもので 多くが真言宗徒(現在も富山は日本有数の真宗県)だった薬売りは、職務を通じて人々の健康に貢献することが仏に仕えることだとも考えていました。

 当時は現代のように交通網が完備しておらず 庶民は、何時どのような薬を使う事になるかわからない状態で 幾種類もの種類の薬を遠出しては購入し常備しておく事が経済的に難しかったのです。
 商人も 誇大な効能を触れ回るインチキ大道商人的な者が多く 
医薬品は不十分ななか 疫病は多発していました。
富山売薬商人は「とりあえず必要となりそうな幾つかのの薬を預けて 
年に一、二度訪問して 使用分の代価を清算し薬を補充すれば 良いのではないか...」
幾度か通う事で 薬売りと顧客の間に信頼関係が生まれ
継続的な取引をすることで 永続的な商いも保証される と考えたのです。

長い時間をかけて顧客との間に築かれた信頼ゆえに
販売網は不動のものとなり 時代の要請に合致していたこともあり
その後も取引が絶えることはありませんでした。
 薬売りのトレードマークともいえる柳行李は、重さが20kgもあります。これを背負い、毎日20〜30kmの道のりを歩いたり、船便を使ったり、時には馬の背に乗せたりして行商しました。
 反魂丹商売人に対する各種の心得が示され、この商道が現在まで富山売薬を発展させてきた一因といえましょう。

預ける医薬品や配置員も許可制で 代金は使用後に受取る事になっており、他の小売販売の様に現金販売はできません。
 
 クレジット商法の先駆けといえる置き薬商法、
現在もなお、この商法は続いています。

 広貫堂見学の記念として こちらで生産している
←写真の栄養ドリンクを頂きました。

医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまでく救療の志を通せよ
との 富山城2代藩主の前田正甫の訓示から
と名が付いたとの事です。 
 富山の繁華街 総曲輪
 
 富山市の中心商店街は総曲輪(そうがわ)通りと中央通りで この二つの商店街はアーケードで連続しており、二つのアーケードの総延長は1kmに及び北陸最大の規模となっています。

 反面、長いので やはり外郭は買い物客も少なく 中央通り商店街の一部分はシャッター通り的様相を呈していました。
堅実な県民性を反映し 商店街が閉まる時間が早いようです。
郊外型SC等の進出による打撃は大きく、
大手百貨店の富山西武が撤退しました。
 総曲輪フェリオは 富山大和百貨店と27の専門店からなる大型商業施設
 地元寿司屋が並ぶ「にぎわい横丁」や多目的広場「グランドプラザ」 紀伊国屋書店等
 があり 富山、北陸にしかない店舗が多く存在し、富山の商業の中心です。
 市街化区域は区画整理され、東西南北に碁盤目状に延び
る道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により
構成された美しい近代計画都市となっています。
 娯楽がないためパチンコ屋が多く、客寄せのためか
店舗が派手な印象を受けました。
 富山で買っておいて頂きたいのが、やはり鱒の寿司
味の好みはいろいろありますが
富山城西側に「ます寿司店街」もあります。
場所は丸の内電停と松川の間 すずかけ通りの西側に直交する
通りです。
 富山城址公園
 富山の中心繁華街・総曲輪を 北東側に徒歩5分で 
富山城址です。

 戦災を受けた富山市 現在は僅かに本丸跡が城址公園として保存され 建物は現存せず 南北の城門付近の石塁を除き 殆どが土塁で南の大手付近に水濠が残り この辺りが最も美しい景観を保っていました。

 城は西に神通川 本丸を中心に南に二の丸 東に東出丸 西に西の丸を設け さらに総曲輪(三の丸)が取り囲む形で作られていました。

 現存する石塁は 打ち込みハギ積で 10,000個以上の積石があり 中には墓石 臼石がある他 刻印石 墨書石もあるそうです。
 富山城は 富山平野のほぼ中央に位置している平城で
別名安住城 浮城とも呼ばれます。
 天文年間(1532から1555)に神保長職の将水越勝重が築城したのが最初です。
その後 天正7年(1579)に織田信長の部将佐々成政が越中に入国し 城を大改修して
上杉氏を駆逐し 当地を平定しました。

 佐々成政が肥後へ転封後は 前田氏が支配し 万治(1661)利次が
富山藩10万石を分封され それが明治維新まで続きました。
 富山城は実は模擬天守で 戦後(1954)年 富山産業博覧会を機に復興されたものです。
戦後復興された城の第一号で 富山市立郷土博物館になっています。  私の息子も熱心に資料に見入っていました(↑)

 城内には越中売薬の祖とされる
 第五代藩主前田正甫の像がありました。
内部は 廃城と復興の変遷を 数々の資料で紹介しています。
城の北側には 松川と親水公園があります。
花見の時期は遊覧船に乗って花見をする人で賑わうようで 片道1.2キロの距離を30分で往復。
  富山市役所 眺望スペースより
 富山市を眺望するには 富山市役所眺望塔(左写真)が 360度の眺めを楽しむ事が出来て お薦めです。
(市役所ですが この眺望スペースは土曜日も入場可能)

 天候に恵まれれば、勇壮な立山連峰も楽しめるのですが 私が行った時は生憎曇天でした。
市役所も富山城跡から北西に徒歩3分なので 便利です。

 富山県の中部に位置し 西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川、常願寺川などの川によって形成された沖積平野の上に発達しました。
南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できます。

 富山という地名は、立山連峰を仰ぐことが出来、山に富んでいる事から富山(とやま)と呼ばれた為で
元々は藤居山(ふじいやま)という地名でしたが、富山寺という寺院があったので 次第に富山(とやま)と呼ばれるようになりました。

 近年は富山市も中心市街地の人口が減少し、また一戸建てに住む人が多いので居住地も分散しています。
道路整備がきちんと行われ 郊外型ショッピングセンターが流行っています。富山は車がないと生活しにくい街かもしれません。
 富山の薬屋によって全国から集められた新しい情報や 蓄積された資本力は 電力 金融などの近代産業の創設や 教育文化などあらゆる方面で富山の発展に大きく貢献したわけです。 

 北陸電力の本店は富山県富山市
1897年に設立された富山電灯が母体で 富山起源である事が大きな理由です。北陸では富山が一番早く電灯が付きました。

 銀行でも、より全国に展開しているのは北國銀行(金沢)より北陸銀行(富山)で、北陸銀行は 地銀では全国第二の規模を誇ります。かつては興銀も 北陸唯一の支店を富山に置いていました。

 さらに北陸電力の歴史(ひいては水力発電の歴史)と無縁ではなく 電力の缶詰といわれるアルミニウム工業(ex. サッシ−YKKなど)は富山に起源・本拠をもつ所が少なくありません。
 富山で薬に関する薬膳料理を食べたいなら 池田屋安兵衛商店をお勧めします。店名からしてレトロですが、昔ながらの佇まいで味があります。紙袋に入った薬が売られており、見るだけでも楽しめます。
2階に薬膳カフェがあり 薬膳料理を頂けます。釣りバカ日誌の舞台にもなりました。西町交差点を東に少し行くとあります
  http://www.hangontan.co.jp

 夜の歓楽街は桜木町になります。
表通りに面していないため夜でも分かりにくい場所にありますが
場所は富山城の丁度東側、路面電車の桜橋と荒町のあいだの裏手です。飲食店街としては北陸で二番目です。

金沢市に較べると華が無い富山市と云われますが 
元々都市の性格が異なっており 富山人の実質志向が街にも表れているようで 同じ北陸で こうした燻銀的個性を湛えた県都が 独自の個性を表出させているのも面白いですね。
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