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クレジット商法の先駆けといえる置き薬商法、
現在もなお、この商法は続いています。
広貫堂見学の記念として こちらで生産している
←写真の栄養ドリンクを頂きました。
医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ
との 富山城2代藩主の前田正甫の訓示から
と名が付いたとの事です。 |
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富山の繁華街 総曲輪 |
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富山市の中心商店街は総曲輪(そうがわ)通りと中央通りで この二つの商店街はアーケードで連続しており、二つのアーケードの総延長は1kmに及び北陸最大の規模となっています。
反面、長いので やはり外郭は買い物客も少なく 中央通り商店街の一部分はシャッター通り的様相を呈していました。
堅実な県民性を反映し 商店街が閉まる時間が早いようです。 |
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郊外型SC等の進出による打撃は大きく、
大手百貨店の富山西武が撤退しました。 |
総曲輪フェリオは 富山大和百貨店と27の専門店からなる大型商業施設
地元寿司屋が並ぶ「にぎわい横丁」や多目的広場「グランドプラザ」 紀伊国屋書店等
があり 富山、北陸にしかない店舗が多く存在し、富山の商業の中心です。 |
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市街化区域は区画整理され、東西南北に碁盤目状に延び
る道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により
構成された美しい近代計画都市となっています。
娯楽がないためパチンコ屋が多く、客寄せのためか
店舗が派手な印象を受けました。 |
富山で買っておいて頂きたいのが、やはり鱒の寿司
味の好みはいろいろありますが
富山城西側に「ます寿司店街」もあります。
場所は丸の内電停と松川の間 すずかけ通りの西側に直交する
通りです。 |
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富山城址公園 |
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富山の中心繁華街・総曲輪を 北東側に徒歩5分で
富山城址です。
戦災を受けた富山市 現在は僅かに本丸跡が城址公園として保存され 建物は現存せず 南北の城門付近の石塁を除き 殆どが土塁で南の大手付近に水濠が残り この辺りが最も美しい景観を保っていました。
城は西に神通川 本丸を中心に南に二の丸 東に東出丸 西に西の丸を設け さらに総曲輪(三の丸)が取り囲む形で作られていました。
現存する石塁は 打ち込みハギ積で 10,000個以上の積石があり 中には墓石 臼石がある他 刻印石 墨書石もあるそうです。 |
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富山城は 富山平野のほぼ中央に位置している平城で
別名安住城 浮城とも呼ばれます。
天文年間(1532から1555)に神保長職の将水越勝重が築城したのが最初です。
その後 天正7年(1579)に織田信長の部将佐々成政が越中に入国し 城を大改修して
上杉氏を駆逐し 当地を平定しました。
佐々成政が肥後へ転封後は 前田氏が支配し 万治(1661)利次が
富山藩10万石を分封され それが明治維新まで続きました。 |
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富山城は実は模擬天守で 戦後(1954)年 富山産業博覧会を機に復興されたものです。
戦後復興された城の第一号で 富山市立郷土博物館になっています。 私の息子も熱心に資料に見入っていました(↑) |
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城内には越中売薬の祖とされる
第五代藩主前田正甫の像がありました。 |
内部は 廃城と復興の変遷を 数々の資料で紹介しています。 |
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城の北側には 松川と親水公園があります。
花見の時期は遊覧船に乗って花見をする人で賑わうようで 片道1.2キロの距離を30分で往復。 |
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富山市役所 眺望スペースより |
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富山市を眺望するには 富山市役所眺望塔(左写真)が 360度の眺めを楽しむ事が出来て お薦めです。
(市役所ですが この眺望スペースは土曜日も入場可能)
天候に恵まれれば、勇壮な立山連峰も楽しめるのですが 私が行った時は生憎曇天でした。
市役所も富山城跡から北西に徒歩3分なので 便利です。 |
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富山県の中部に位置し 西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川、常願寺川などの川によって形成された沖積平野の上に発達しました。
南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できます。
富山という地名は、立山連峰を仰ぐことが出来、山に富んでいる事から富山(とやま)と呼ばれた為で
元々は藤居山(ふじいやま)という地名でしたが、富山寺という寺院があったので 次第に富山(とやま)と呼ばれるようになりました。
近年は富山市も中心市街地の人口が減少し、また一戸建てに住む人が多いので居住地も分散しています。
道路整備がきちんと行われ 郊外型ショッピングセンターが流行っています。富山は車がないと生活しにくい街かもしれません。 |
富山の薬屋によって全国から集められた新しい情報や 蓄積された資本力は 電力 金融などの近代産業の創設や 教育文化などあらゆる方面で富山の発展に大きく貢献したわけです。
北陸電力の本店は富山県富山市
1897年に設立された富山電灯が母体で 富山起源である事が大きな理由です。北陸では富山が一番早く電灯が付きました。
銀行でも、より全国に展開しているのは北國銀行(金沢)より北陸銀行(富山)で、北陸銀行は 地銀では全国第二の規模を誇ります。かつては興銀も 北陸唯一の支店を富山に置いていました。
さらに北陸電力の歴史(ひいては水力発電の歴史)と無縁ではなく 電力の缶詰といわれるアルミニウム工業(ex.
サッシ−YKKなど)は富山に起源・本拠をもつ所が少なくありません。 |
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富山で薬に関する薬膳料理を食べたいなら 池田屋安兵衛商店をお勧めします。店名からしてレトロですが、昔ながらの佇まいで味があります。紙袋に入った薬が売られており、見るだけでも楽しめます。
2階に薬膳カフェがあり 薬膳料理を頂けます。釣りバカ日誌の舞台にもなりました。西町交差点を東に少し行くとあります
http://www.hangontan.co.jp
夜の歓楽街は桜木町になります。
表通りに面していないため夜でも分かりにくい場所にありますが
場所は富山城の丁度東側、路面電車の桜橋と荒町のあいだの裏手です。飲食店街としては北陸で二番目です。
金沢市に較べると華が無い富山市と云われますが
元々都市の性格が異なっており 富山人の実質志向が街にも表れているようで 同じ北陸で こうした燻銀的個性を湛えた県都が 独自の個性を表出させているのも面白いですね。 |
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