佐賀県の県庁所在地 佐賀市を訪ねました。
ここは福岡と長崎の間にあり これまで通過気味ではありましたが
県都としてはミニサイズながら 歴史ある城下町は“文化の薫りただよう田園都市”の趣で
遅ればせながら 私はこの街に惹かれてしまいました。
鍋島36万石の城下町佐賀は 明治維新に活躍した“薩長土肥”の
“肥の国”にあたる雄藩の藩都です。
明治7年の佐賀の役では 佐賀城の主要部を焼失してしまいましたが、
太平洋戦争での戦災は軽微だったので 武家屋敷や商家など
昔の面影を留める建物が随所に残っています。
佐賀城公園から 佐賀の街を散策してみました。 |
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● 佐賀城公園 |
佐賀城の跡地一帯を公園として整備 幅80mの濠が
逆コの字に囲む中を 佐賀城公園、佐賀城跡、佐賀城本丸歴史館 佐賀県庁、サガテレビ、博物館 美術館 図書館 学校などが集中し 佐賀県の要となっています。
(濠は“逆コの字”ですが 東の濠は昭和9年に埋立てられました)
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民放局は「サガテレビ」だけ。
フジテレビ系列で、地方局の宿
命か自主制作番組は僅か。 |
潅漑用の堀(クリーク)が縦横
に張り巡らされており 佐賀は
この上に発達した町 |
佐賀城公園には楠がたくさん、佐賀県の県木です。
佐賀の名の由来は,日本武尊が巡幸の際 楠が繁る様子を見て
この町は“栄の国”と呼ぶのが相応しかろうという事からだとか。 |
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北濠より西方向を望む 幅70mの濠に囲まれた典型的な平城 |
国道207号線(通称貫通道路)左は佐賀県庁 右が佐嘉神社 |
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佐賀城・鯱の門
戦国末期 竜造寺氏が築城した村中城を 鍋島直茂・勝茂親子が 慶長13年(1608)から 4年の歳月をかけて拡張整備しました。
濠の土手の松や楠で 城内を覗けないようになっていました。
当時は5層の天守がありましたが 明治7年の佐賀の役で城の主要部を焼失し 天守閣はありません。
石垣の一部、重要文化財の鯱の門、続櫓が残っています。 |
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佐賀の乱”を生き抜いた建造物として鯱の門が残されていましたが、平成16年夏になって本丸の石垣と藩主御殿「佐賀城本丸歴史館」が復元建築され 見応えある城址公園となりました。
佐賀城郭は、東西、南北とも約700mにわたる広大さを持っています。地形的に低平なのが特色といえそうです。 |
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佐賀城本丸歴史館
本丸御殿の復元としては日本初で 平成16年8月に開館。 木造復元建物では日本最大規模を誇ります。嬉しい事に入場料は無料。満足度に応じて寄付して下さい。
700枚以上の畳を敷き詰めた館内に 日本の近代化に貢献した幕末維新期の佐賀の歴史展示があります。
佐賀城本丸御殿を忠実に復元しています。 |
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南側の城濠 城濠を一巡すると 緑豊かな田園都市を感じる事ができるはず..。 |
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樹齢200年を超える 楠の大木が城濠に沢山。
佐賀の街全体を 涼しげな印象にしています。 |
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● 佐賀県庁舎と 県庁展望台から眺めた風景 |
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明治以来 佐賀城址は 佐賀県の県庁が置かれ 文化施設も多く集中しています。
佐賀県庁舎に立ち寄ってみました。
肥前国は 現在の佐賀県と長崎県にあたります。
そのため佐賀は 明治時代に長崎県と合併する予定でしたが、
当時の長崎県をリードしていたのが、佐賀の弘道館なる学校の出身者でした。
曲がりなりにも36万石(実質は70万石)の 当時で云う大藩だったので 国に陳情し、様々な運動を繰り広げたのち 明治維新の功績が考慮され 佐賀県単独での県制が認められたようです。
その為 九州では面積人口ともに最小の県なのですが
気候温暖で大きな風水害も少ない住みやすい県です。
県庁最上階 街を360度見渡せる展望スペースに立ち寄りました。 |
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佐賀市内では最も高い建物ではないでしょうか。 |
レストランもあり珈琲を飲みましたが 佐賀牛の食事もいいかも。 |
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南方向を望む 佐賀城跡 本丸歴史館 サガテレビが見えます。 |
西方向を望む 中央のビルはホテルニューオータニ佐賀 |
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北西方向を望む 城濠と楠が大変美しく印象的でした。 |
北方向を望む 中央のビルが県警本部 右側が市中心街。 |
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● 偉人を輩出した土地 |
佐賀は向学心の強い所で 幕末には江藤新平や大隈重信といった人材を輩出し、
薩長土肥の一藩として明治維新の一翼を担いました。 |
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大隈重信生家と大隈記念館
大隈重信は早稲田大学の創設者としても有名です。
佐賀城公園の東側に大隈重信記念館があります。
佐賀藩の砲術長(400石)の長男として1838年に生まれ 200数十年前の生家(武家屋敷)は、国の史跡にもなっています。
維新後は財政、外交分野で活躍。立憲改進党を結成し、内閣総理大臣となりました。佐賀観光の定番スポットです。
ちなみに佐賀の七賢人は、大隈重信(早稲田大を創設)、江藤新平(近代司法制度創始者)、鍋島直正(文明に明るい幕末の名君)、副島種臣(明治政府の参与、外務卿などを歴任)、佐野常民(日本赤十字社を創設)、大木喬任(教育制度生みの親)、島義勇(北海道開拓の父)。 |
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写真最左 大木喬任誕生地の碑
写真左から2枚目 武家屋敷の門(大隈重信旧宅近く)
近代司法制度創始者の江藤新平(明治政府の司法卿)、法曹界の頂点となった田中耕太郎など 佐賀出身者は 司法官を目指す人が多いという土地柄があるようです。ただ佐賀市内の4年制大学は国立の佐賀大学のみとなっており 人材流失が悩み。
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佐嘉神社
佐賀鍋島藩十大藩主・鍋島直正、十一代藩主・鍋島直大を祀っています。
鍋島藩は進取的で 長崎街道沿いという地の利を生かし、長崎から洋式の科学技術を吸収していました。 直正は日本最初の反射炉を作り 医学や学問などで様々な偉業を果たしました。
それもあって佐嘉神社は 学問や文化、交通の神として崇められています。
鍋島藩は蒸気船、アームストロング砲、通信機、カメラを国産化しましたが アームストロング砲が 佐嘉神社にありました。
自分の街から文化や情報を発信するという気概が 昔から佐賀の地にはあった点が素晴らしいと感じました。
面浮立(めんぶりゅう…写真左)とは 佐賀を代表する民族芸能で
鬼の面をかぶって、踊る踊りです。 |
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● 佐賀市中心街 街歩き |
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佐賀城公園から佐賀駅を結ぶ道路は 中央大通り(愛称:シンボルロード)と呼び 各種商業施設、オフィスビル ホテルが並ぶ、佐賀市のメインストリートとなっています。
人口は平成の合併で238,000人程度になりましたが 実質人口は17万人。
最近佐賀市内には九州有数のショッピングモールが出来て 郊外型都市として発展しています。 中心街の空洞化も進行しており 距離が近い福岡商圏に組み込まれ、買い回り品の消費流出が顕著なのが悩みでしょうか。
佐賀は自転車で端から端まで行けそうな小さな都市、それだけにアパートやマンションの家賃は九州の県庁所在地で最安。
治安も九州の県都では最良なので安心して散策できますが 太平洋戦争での戦災が軽微だったので、道筋は一部を除き歩道が無く道幅も狭いです、交通事故には注意してください。 |
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佐賀市内唯一の百貨店
佐賀玉屋(写真上)
高島屋傘下かと思われます。
中心街に人が少ないですが 電線の地中化で かなり綺麗な都市景観を見せています。 |
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自販機には佐賀弁が!
「がばい」とは たいへんの意
(山口弁で云う“ブチ”) |
水路が多い佐賀の街 (写真は十間堀川)
佐賀はクリークの上に発達した町ですが 生活利用を目的に改良された多布施川の支流が
町を張り巡らし、高度成長期まで生活用水や水路、水遊び場として利用されていました。
ちなみに佐賀市街地を流れる川の距離は2000kmもあるようです。 |
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長崎街道の通る町屋のうち 白山2丁目と呉服本町はアーケード街です。
アーケードの商店街は苦戦中のようで、シャッターを降ろしている店多数。
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愛敬町から中央本町にかけて料飲街
規模は小さいが、リーズナブルな店が多い。
この辺に餃子の美味い店があるようで...。 |
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シシリアンライス(B級グルメ)
温かいライスの上に 炒めた焼肉とサラダを盛り合わせマヨネーズやドレッシングをトッピング |
白山アーケード街
佐賀ひなめぐりを開催してい
ましたが 年間を通して
様々なイベントを用意 |
北島
南蛮渡来の佐賀銘菓
丸ボーロの老舗。長崎街道は
砂糖ロードとよばれ菓子が発達 |
エスプラッソ
佐賀市観光交流プラザとなっています。 |
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有明海は干潟なので小型船しか入れず、潮の満ち引きも激しい為 大工場が発達しませんでした。工業は繊維や食品、印刷などの軽工業主体です。総じて官公庁の町で さしたる産業がある訳ではないので、県の役人の交際費が締め付けられると、途端に料飲街は不況になるようです。
服飾など流行り物は福岡で手に入れて、他の物は郊外のショッピングセンタ−で買うという感じでしょうか・・・
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唐人町の界隈
この辺りは中小商店が並ぶ商店街
華がなく 地味ながら落ち着いた雰囲気はありますが
「中心部を歩いている若い子が随分少ないナ」と思ったのがホンネの所。ライブハウスとかそれっぽい喫茶店もないような...。
通りには至る所 プランターに花が飾られているほか
近代都市の顔を見せる中に 古めかしさも残しています。 |
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唐人町から佐賀駅までがビジネス街で 生保や証券、金融関係のビルが林立しています。
佐賀の県都に相応しく ホテルは東急イン、ワシントンホテル、ルートイン、ドーミーなど メジャーどころが揃います。
旅館は少なく 所謂商人宿が点在するくらい。
商用で佐賀に宿泊するなら駅周辺が ホテルから一歩出ても飲食の選択肢もあり 利便性に富むと思いますね。
温泉宿を求めるなら北郊の冨士町の熊の川温泉になります。 |
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はなわの「佐賀県」によって その田舎度が全国へ発信された
佐賀ですが、駅周辺は意外と都会です。 |
佐賀の駅弁 |
佐賀バスセンター |
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佐賀駅
博多駅までJRで僅か約40分、
佐賀経済の今後の成長を考えると、
福岡都市圏の発展する力を
呼び込むことが重要でしょうね。 |
佐賀駅名店街 デイトス
佐賀駅は高架駅で 1階部分は名店街
となっています。
東側は佐賀バスセンターで
まさに佐賀県内の交通の中心地です。 |
佐賀への公共交通機関は 福岡からは
JR特急 高速バスが頻発し便利ですが
なにぶん小さな県都。西九州以外の九州 各市から佐賀へ直行する便はないので
博多や鳥栖で乗り換えて下さい。
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水と緑の文化の香り溢れる 落ち着いた歴史の町
佐賀は 他の観光地に見られるような“華”は乏しいですが しみじみとした「葉隠」の情緒を味わうには 車を降りて やはり自分の脚でゆっくり探訪するのが好適と思います。
個人的にはメジャーな都市よりも こういう静かな都市の方が味わいがあり オッサンである私の好み。それもあってか「ぶらり探訪」で 佐賀市が最も写真掲載数が多くなってしまいました(^^)
佐賀の魅力といえば、天災等の被害が少なく、程良い田舎が好きな人は静かでゆっくりと暮らせるといったところでしょうか。大都市福岡に比較的近くて便利なのも利点です。華やかな県庁所在地ばかりでなく こんな静かな県庁所在地があっていい!。 |
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