当サイトでは久々の“山陰”の旅、岩国市から最も近い島根県益田市を訪ねました。
島根県西端の益田は 意外とこれまで通過するばかりで
町や観光地の散策は 今回が初めてになります。
それでは多くの人が最初に足を記しそうな益田駅前から 町をご案内します。
 
  益田駅

 益田市を始めとする石見地域は 人口も希薄で他地域との交通の便も少なく、 高速交通網の整備も着工が最も後回しにされていました。
鉄道では2001年に山陰本線の高速化事業が完成し、 県都松江市とは特急スーパーまつかぜ・スーパーおきにより2時間で結ばれるようになりました。 ただこちらを走る特急車両は2両です。
  近代的な益田駅前
 人口約5万人 浜田や萩と同格の人口ですが 
浜田が活きのいい港町(以前東京からの寝台特急は此処までで、高速道も此処に)  萩が維新胎動の城下町 という事で 
益田は双方に較べると地味な印象は否めませんでした。
益田の駅前は 長らく道路も狭く近代化も遅れ “市”よりも“町”の方が似つかわしいと揶揄されている駅前でした。

ここは島根県西部の交通の要でもあり 1970年代から再開発の必要性が叫ばれ ようやく今世紀に入って 道路の拡幅、都市型商業施設の整備など再開発が進められました。

これにより、駅前に再開発ビルや島根県芸術文化センター グラントワが建築され、
そして県道拡張で 島根県西部の核となる駅前に一新されまた。
 平成18年7月オープンの益田駅前ビルEAGA 
駅前再開発で建ったビジネスホテルが好評なようです。
大阪王将も進出し雑貨の店も出来るなど 駅前の辺りだけ近代都市になりました。 (昔は 山口県の柳井みたいな感じでした)。

浜田もそうですが ここも県庁所在地・松江よりも 政令市・広島
との人や経済の結び付きが偏重傾向にあると感じます。
 駅前は石見交通のバスターミナル
益田は島根西部の交通の要衝で 
鉄路は松江 浜田 萩 津和野 山口
陸路は広島 岩国 六日市 周南などと結ばれています。
高速バスは東京 大阪から乗り入れています。
過疎地が大半を占め 人口希薄な石見西部の地で  公共交通機関の経営は厳しいと思いますが 頑張って欲しいですね。   
通りを渡って 裏へ行けば 
昔ながらの懐かしい町並みが展開
駅前にローソンがありますし 少し歩けば
地場スーパーキヌヤもあります。
この通りも広くなって 
田舎臭いイメージを改善しつつあります。

 ただやはり小都市の駅前 
駅前で時間をつぶせるような場所は どうしても限られてしまいます。
本屋、映画館、ネットカフェ、ボウリング場、カラオケ店等が見当りません。
駅前を起点にして 徒歩圏内で動くならば やはり益田駅の南東のグラントワでしょうか。
  グラントワ
 グラントワは 益田駅から南東に約700mの所にある芸術文化施設で、島根県芸術文化センター(島根県立石見美術館・島根県立いわみ芸術劇場)で構成され、2005年10月8日に開館した比較的新しい施設です。
 「グラントワ」はこちらの愛称で、益田ではかなりポピュラーにそう呼ばれています。愛称名の由来は、広い屋根と言う意味のフランス語 (Grand Toit) です
 建物の屋根は、石見の景観や風土をシンボライズさせるような、石州瓦が使用された、大きな切妻屋根で作られています。
建物の屋根、外壁に使用されている石州瓦は 何と約28万枚。
2010年5月には、第12回公共建築賞の中国地区「優秀賞」を受賞しました。

特異な設計となっているのが中庭で 45m四方の中央には25m四方の水盤(薄く水が張ってある)があり、
石州瓦に囲まれた涼しげで落ち着いた空間となっています。

 石州瓦は、日本三大瓦の一つで、高温で焼上げてあり固く丈夫で湿気を含まない為 寒くて積雪の多い地域で使わた瓦です。
光が普通の瓦とは一味違い ぬるっとした光沢が特徴です。
独特のツヤと赤い色は来待石という石から抽出された 特殊な釉薬から来ているそうです。 屋根だけでなく壁にも石州瓦を使った総石州瓦張りの外観は、とても新鮮です。
島根県石見美術館
2010年6月には 入場者50万人を達成しました。

 美術館と劇場が一体となったこの施設 島根西部の文化をリードする役割を果たしているようで
コンサートや美術展、企画展なども面白いものが多く、
日曜の夕方は石見神楽の定期公演も行なわれるようです。
 美術館ロビーでは 「本池秀夫 革の世界」の開催期間中だったからか 革で作られたキリンが展示されていました

美術館ロビー 文献や資料等が充実しています


 美術館との複合施設という利点を良く生かし アートとパフォーミングアーツ(舞台芸術)との融合から生まれる、複合的な企画など多いようです。
このような場で芸術に触れた人達が、新たに創造し参加する事で 石見の地域活性化に繋がれば良いですよね。

 グラントワ内には観光案内所こそありませんが
複合施設ですので 島根県西部の観光情報パンフなどは各種取り揃えられています。
島根県立いわみ芸術劇場 子供石見神楽が行われていました。

大ホール壁面には、音響・意匠・構造を一体のものとするため、
三次元的に複雑な形状を持つコンクリート折版構造が採用されており、
約1.8秒(500Hz/空席時)の残響時間が確保されています。
小澤征爾さんも「素晴らしいホール」と褒めた 現代建築の粋を集めた設計 
西日本有数の袖の広い舞台と最新の舞台機構を備えている大・小ホールで 質の高い芸術文化に触れる事が出来ます。
ミュージアムショップで 石見地方の工芸品を生かしたグッズなども探すといいかも。 ponyというフランス料理のレストラン

建物正面の小庭のオブジェ。オロチ

中国地方の最果ての地のような益田(失礼) ですが、
ここグラントワから 益田の町の未来が広がっていく印象を感じました。
ここから始めましょうと 総石州瓦張りの建物は街に語りかけているようです。
小さい街でこれまで観光ポイントがあまり無かったのですが 
それだけにグラントワは「石見の素晴らしさを魅せるぞ!」が集結し 一見の価値があります。
  雪舟終焉の地 益田
  雪舟の郷記念館    益田は雪舟終焉の地です。
                益田市乙吉町に平成2年に作られた雪舟の郷記念館に行ってみました。

 雪舟は 室町時代の禅僧・画僧で(1420〜1502) 備中国で生まれ 幼少にして京都へ上り 相国寺で禅僧として修業を積みながら 絵を学びました。
その後 明と交渉を重ねていた周防国の大名 大内教弘を頼って 雲谷庵に身をおきます。
 応仁元年(1467)には 遣明船に同乗し 中国に渡り 北京・礼部院に壁画も描きました。
文明元年(1469)に帰国 豊後で天開図画楼を開き この頃から日本水墨画の重鎮的存在となります。
 文明10年には益田を訪れ益田兼尭像図 山寺図 花鳥図屏風を描き  萬福寺、医光寺などに山水庭を築きました。
 晩年にも益田を再訪して 画の制作をしていましたが ここ益田の地で83歳の生涯を閉じました。 

 画聖とも称えられ ウィーンの世界平和評議会で「世界十大文化人」に選ばれた唯一の日本人です。
記念館の庭園 八景園
雪舟筆「花鳥図屏風」を参考に造園された
庭園です。石組と白砂は益田八景にちな
んだ名勝を散りばめているそうです。
樹齢100年を超える松や、竹、桜など雪舟の薫りを味わえます。
回廊
建物は中世寺院様式をモデルにした
和風建築
入口から展示室を望む
内部は二つの展示室があり 第1展示室では、雪舟と人麿を紹介した常設展
第2展示室は 雲谷派や現代日本画家の展示、特別展、企画展

雪舟の終焉地については諸説がありますが、墓が存在しているのは益田です。

定休日:火曜日(休日を除く)、
 休日の翌日(土・日・休日を除く)、年末年始(12/30〜1/4)、展示替え期間 
入場料:一般 300 円 ・ 小中高 100 円 (20名以上2割引)
 企画展、特別展など内容によって変更があります。 (2010/9現在)詳細は公式サイトでご確認を
 医光寺は、臨済宗東福寺派の寺院で 
もとは1363年(貞治元)創建の天台宗の崇観寺という寺院でした。
益田宗兼が室町時代に、現在地に医光寺を建立しました。
長い年月の間に本寺の崇観寺は衰廃し、医光寺だけが残りました。 本堂・開山堂・総門・中門を備え、寺容は整っています。

総門はかつて益田氏の拠城七尾城の大手門でしたが 関が原の合戦後、益田城(七尾城)の大手門を移したものです。
その後、竹田の番匠によって屋根を竜宮造りに改修されています。
総門 県指定文化財  
  指定 昭和34年9月1日   高さ 4m 幅 4.5m
本堂裏には、雪舟が文明年間(1469〜86)に益田に滞在したときに造った 池泉鑑賞半回遊式庭園(史跡・名勝)があります。
現在の諸堂宇は、享保14年(1729)の大火後創建されたもの。
萬福寺本堂 (国重要文化財)
 益田市の旧市街地にある 萬福寺に行ってみました。
時宗の益田道場である寺院で 山号は清瀧山です。

 元々は海辺にあった安福寺が津波によって流失し 
その後に応安7年(1374) 益田七尾城11代城主 益田兼見公により再建、萬福寺と改名され益田家の菩提寺と定められました。
 文明11年(1479)には 15代城主・益田越中守兼尭公が 画聖雪舟を益田に招いて 本堂の後ろ側に石庭を造らせました。
 その後 慶応2年(1866)第二次長州征伐・益田口戦争の際に この寺が幕府軍の陣営になった為、兵火で総門が焼失しましたが 本堂 庫裏は難を逃れました。 昭和9年に解体修復されました。

 鎌倉後期から室町初期の穏静簡潔な様式ながら バランスのとれた美しさは必見です。 (同時期の有名な建物である銀閣寺や金閣寺に比べるとシンプル)
境内の庭園は、万福寺と同じ雪舟の築庭で、国の史跡・名勝に指定されています。
 その他 益田は万葉集の代表的な歌人・柿本人麿(689〜707)
の出身の地でもあります。
碑やゆかりの神社などは点在しているのですが 今回は割愛し
ました。
 県立万葉公園が萩・石見空港の近くにあり、万葉集に載る植物160種が植栽されているようです。 和歌に興味のある方なら
立ち寄って散策される事をお薦めします。
益田市歴史民俗資料館
 建物は、大正時代に建てられた役所を利用していました。
内部は昔の生活用具、遺跡・古墳の出土品や郷土の偉人の資料等をl展示しています。
建物は国の重要文化財に指定されています。
先ほどの萬福寺からは川を挟んで真向かいなので、是非立ち寄って損はないと思います。
  島根県立自然公園 蟠竜湖
 益田市街の西郊に位置する 蟠竜湖に向かいました。
この湖は 日本海から約1.4km南に入った位置にあります。
 日本海からの飛砂で 谷が堰き止められてできた堰止湖(潟湖)で 周囲は小高い山林にも囲まれ 湖の周囲はクロマツ林も見られ 龍がとぐろを巻いているように 複雑に入り組んだ形の湖岸となっています。
 湖沼景観を主体としたこの公園は 島根県立自然公園に指定されており 一帯での鳥獣の捕獲は禁止されています
 東西二つの複雑な湖畔線は6km 東西の湖との結節点に貸ボート、レストハウス、売店があり、
売店には餌付け用の鯉の餌も売っており この日は意外と多くの人が訪れていました。
色とりどりの鯉と ボートも浮かぶ湖畔は 美しい景色です。
湖畔にはサンパレス益田というホテルもあり 
昔は一寸した益田屈指のレジャースポットだった事が窺われます。
 蟠竜湖の周囲は遊歩道が設置されており 周辺の小高い山への散策も出来ます。
湖を見渡せる綺麗な展望場所はないかと思いましたが 樹々に隠れて残念。

湖名はやはり 龍がとぐろを巻いているような地形から 
蟠竜湖となったようです。

益田へ寄る機会があれば
ボート、湖畔の散策を楽しみながら 自然を味わってみてはいかがでしょうか。 
  萩・石見空港
 続いて 「萩・石見空港」へ向かいました。

 この空港は かつて高速道路も鉄道路線にも恵まれず 東京からの多くの到達時間を要し 陸の孤島とよばれた島根県西部の高速交通網整備の為 建設された空港です。

 空港の構想は1973年 設置許可は1987年、開港は1993年で
構想から開港まで 実に20年も掛かった事になります。
この間に石見地方の交通体系も 浜田自動車道が出来たり 山陰本線高速化を始め かなり変わりました。

 この空港が構想された頃、映画『日本沈没』(1973)で 偶然
「石見空港(=当時は架空)に国民を避難させよ」みたいな主旨の台詞があって、その後慌てて作った完全な"ハコモノ"空港だ という説もまことしやかに囁かれています。
 島根県下3番目の空港として開港しました。
バブル景気の頃の設計だけに 就航便数に較べてアンバランスと思われる(失礼) 随分立派な空港ターミナルビルとなっています。
国際線は考えていなかったようで 内部は国内線用の設備だけを備えています。
 萩・石見空港のように最近新設された空港の大半はANAが就航していますが 経営面や、政治家や官僚との交渉など 手腕面で一歩巧みな部分があるように思います。
 ボーディングブリッジは1基を備え、エプロンは中型ジェット機用2バース、小型ジェット機用1バース、
滑走路は2000mの長さを持っています。
平行誘導路は無く、滑走路両端にターニングパッドを備えています。3Fの展望デッキには無料で入れます。

 就航便数は 東京便1日1往復 大阪便1日1往復の超閑散空港!。 しかし元々山陰西部は後背地人口が少なすぎるため、この便数を維持するのがやっと。

 利用客は予測の5分の1以下。 利用率の低迷が続いているようです。そのため 当初は石見空港と呼称していましたが 観光地として知名度のある「萩」の名を冠して 「萩・石見空港」と改称しますが それでも利用者は年間8万人弱。
全日空は大阪線を2011年1月5日の廃止も決めています。
 過疎地域の空港を 費用対効果の原則を振りかざし非難する人は多いのですが、そういう場所ほど重要性が高いのです。
もし空港がなくなれば最も近い広島空港まで車で3時間、バスで4時間で、しかも本数は日に数える程度です。医療面からも経済面からも空港があるかないかは死活問題です。

 売店も思ったより大きいのですが 時間が止まっているかのごとく、いかにも暇そうでした。
土産物など商品は売れているのかと心配になったりして....。

 東京便1日1往復 大阪便1日1往復の閑散空港だけに
レストランには定番メニューしかない所が泣かせる(笑)
 (モーニングとヨーグルト プリンの他 食べるものはミートスパ ハンバーグ定食 カレー)
レストランはエプロンに面して眺めは良いです。
島根県は竹下氏の頃からの公共建設大国。様々な補助があって出来た施設が多いようです。
地域住民からの反対運動もおこりにくく、逆にゼネコンが経済を引っ張っている地域
恩恵は多いので有難いでしょうが、 維持するには大変でしょうね。
タクシーは飛行機の発着時間帯になると常駐しています。
予約無しにレンタカーを借りると恐ろしく時間がかかるとの事。

萩、津和野 世界遺産石見銀山、周辺の観光をメインにした空港利用促進など 色々と対策をとって維持に努めているようです。効率優先の味気ない世の中ですが 日本に一つくらいこんな空港があって良い!。 頑張ってほしいですね。
 三里ケ浜海岸
 益田市街から西に拡がる東西10キロメートルの美しい砂浜海岸は 
昔から「三里ヶ浜」と呼ばれている海岸で、今は持石海岸とも呼ばれています
 浜辺の近くに立つ「観音岩」が白砂青松の海岸に華を添えます
 国道191号線に沿って 益田駅から車で15分ほどで着きます。
 長い海岸線には、いくつかのビーチが点在し若者や家族連れで賑わっていました。
 これまで通過するばかりだった益田の町、
歴史ある場所だと知る事が出来たのも今回の収穫でした。

 益田といえば 運転免許合宿が盛んな印象もありますね。
近畿、山陽の学生は「免許を益田で取れば早いし安いよ」と
免許も取れるバカンスという認識で 益田に来る人も多く
自動車学校が半ばレジャーランド化しています。
教習所内ではMマネーと呼ばれる、仮想通貨を利用します。この仮想通貨はイベントに参加をしたり、ボランティアを行う事でもらえるというユニークなシステム。
毎日、すこしずつボランティアを行えば、合宿免許期間にほとんどお金を使う事なく、過ごせてしまいます。
最短で普通車ATは14日、普通車MTは16日

 日本初のホームセンター「ジュンテンドー」は益田市に本社があります。  
あと 昔は、日本一小さな競馬場として有名だった益田競馬場もあったのですが 既に取り壊されているかもしれません。

 同じ島根県西部の津和野町は 観光地化され有名になっていますが 益田はその歴史に比して あまり人に見向きもされずひっそりしている。 その辺の鄙びた所が好きな人には魅力的な町だと思います。
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■濃厚で深い味わいのお酒石見の米どころ二条のコシヒカリを使用右田本店宗味(そうみ)純米酒「石/縁結び本舗
■画壇統一に賭ける夢/楽天ブックス
■三好家/楽天トラベル
益田の名勝、歴史と文化と楽しみ、賑やかな宴にこころ酔いしれた後は、ゆったりとした時をお過ごし下さい。
■益田グリーンホテルモーリス/楽天トラベル 2
006年7月24日オープン。島根県西部、JR益田駅前に位置するアクセス拠点。
■マスダセントラルホテル/楽天トラベル
ボウリング・カラオケルーム(2施設は宿泊者特別割引有り)、ゲームセンター等有り。


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