68段のらせん階段を上り台上に出れば、眼下には太平洋の大海原が広がります。 灯台へ向う道 |
 |
 |
 |
 |
 |
ここからは果てしなく広がる海
水平線の彼方を見つめていました。
地球は丸いと実感できる。
北側の小道を歩いた所には 潮御崎神社があり 航海の守護神を祭ることから 漁師や海運業のお参りが多い所です。
東経135度46分 北緯33度26分に位置する潮岬は日本でも有数の台風銀座。
台風が来ると、必ず中継されますね。 |
|
 |
 |
潮岬観光タワー
潮岬バス停そばに建つ 七階建ての円形ビル
屋上が展望台になっており パノラマの展望が楽しめるとの事で
すが 潮岬灯台に登ったので割愛しました
土産屋は勿論 2階に食堂があったり 6階で串本節のビデオ鑑賞が出来ます。 |
望楼の芝 (広大な芝生が広がる本州最南の地)
この芝生広場は 旧海軍の望楼があった事でこの名があります
広さは約10万u 牛や馬が放牧されていればそれはそれで絵になったでしょうが 寝転んでいたりする家族連れ 跳び上がって写真を撮っている若い女性達、
思い思いにのんびり 本州最南端を過ごしていました。 |
 |
 |
 |
 |
 |
望楼の芝の南側に本州最南端の碑 そして無料休憩所と売店があります。 |
 |
 |
 |
 |
休憩所を抜けたら展望台と下村宏銅像(写真上)
私達が行った時には バイクのライダーも多かったです。 |
売店では本州最南端の訪問証明書を販売しています
商魂逞しい?! |
 |
 |
本州最南端のクレ崎という岩礁 |
先は雄大な太平洋 |
 |
串本から大島へ |
串本(本州)から 東の太平洋上に浮かぶ“大島”に渡ってみました。
全国には大島と呼ぶ島が多いので 全国的には「紀伊大島」と呼称されます。
和歌山県下最大の島で、樫野・峰地・須江の集落から成る人口は約2,000人
港は江戸時代から江戸から大坂にいたる航路における風待や避難のための港として廻船が多く寄港し、
また漁港としても栄えていました。 ここも現在は串本町に吸収合併されています。 |
 |
|
ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船 と
串本節に唄われた大島ですが
くしもと大橋(左写真)が結ばれ 巡航船は姿を消しています。
串本の町からは本当に一衣帯水の距離にあって 平成11年に完成したくしもと大橋(無料)で簡単に行き来出来ます。
島は東西8km 南北2.5km 周囲26kmの小島で
標高171mの大森山を頂点とそた台地状の島となっています。
この島で最も素晴らしいのが断崖絶壁の連なる海岸美。
車で東端まで出掛けたので 早速紹介しましょう。 |
|
 |
トルコ記念館・日本とトルコの友好の始まり |
なぜ中東のトルコの記念館がこんな場所に? と思われる事でしょう。
明治23年 オスマントルコ皇帝の特使を乗せた軍艦エルトゥールル号が大島沖で難破
殿下ら587名もの犠牲者を出したのですが
大島の人は総出で 遭難したトルコ人の救助にあたり
日本政府は69名の生還者を海軍船でトルコに送り届けました。
トルコはそれに感激して 何年経っても語り継いでくれているようです。
さらに日本が日露戦争に勝った事で ロシアに脅かされていたトルコは
アジアの小国日本を高く評価し 親日家の多い国になったと云います。
ここ大島には記念碑(右写真)が建てられ 昭和49年にトルコ記念館が開館しました。
エルトゥールル号 日ト友好に関する資料 写真パネル トルコの物産品を展示
周囲にもトルコ民芸品の土産店があります。 |
 |
樫野崎灯台 |
 |

潮岬灯台よりも早く 明治3年(1870) 「日本の灯台の父」と呼ばれる英国人 リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計で建てられました。
日本最古の石造灯台で 周辺には美しい花が植えられているのが印象的でした。
昭和29年に改修されましたが、隣接する旧官舎も石造りで、当時の雰囲気は残っています。
現在、灯台は無人で自動点灯となっており 内部も非公開ですが、灯台の外周に展望台が設けられて 太平洋の大海原を望む事が出来ます。
架橋で本土と結ばれたのが最近であるせいか
潮岬より大島の樫野崎のほうが最果て感があります。 |
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
吉野熊野国立公園エリアにあり、南紀の素晴らしい景観を一望できました。
亜熱帯の花も咲き誇る 温暖な南の島ならではの風景が見られます |
 |
海金剛 |
 |
 |

大島の東南側にある 景勝地で
高さ50mもの断崖の海岸線が続いています。
北朝鮮の金剛山を思わせる 鋭く切り立った巨岩や無数の岩礁に 岩礁に荒波が豪快に砕け散る迫力満点の景勝地で
身が竦むほどの迫力と近寄り難い神秘が感じられる筈です
「21世紀に残したい日本の自然100選」にも選ばれました。 |
 |
|
展望台から東を海金剛 西を裏金剛と呼んでいます
南紀に来て“これを見ない手は無い”と云えるほどの景観 お薦めです。
豪快なスケールの断崖と 波が織りなす光景に 心が洗われました |
日米修好記念館
ペリーが浦賀に来て江戸幕府を震撼させる2年前の寛政3年(1791)に
実は2隻のアメリカ商船レィディ・ワシントン号が大島に寄港していたのです。
この記念館はそれを記念して建てられたもので その時の文献や資料などが展示されています
海金剛を見る際に 手前の駐車場傍にあります。
本州最南端の串本町は ダイナミックな太平洋の景色が圧巻で 本土も大島も見所が充分。
潮風と陽光を浴びながらのドライブは、疲れた心を心身共にリフレッシュさせてくれました。
|
 |