 |
 |
 |
筆司の家…熊野の筆作りの家が再現され 名人の技を間近に見ることが出来ます。
|
 |
 |
 |
1500種の筆を販売する筆の専門店
kumanofude.com
shop
熊野筆は欧米では高級品として定評
があり ひっぱりだことか....。 |
熊野筆は大別すると 書道用筆、画筆、化粧筆、誕生筆の四つに分かれます。
原料の毛は中国や北米から輸入、軸は国内各地の竹と中国や台湾からの物が使われています。
熊野筆を製造する職人(“筆司”と呼ばれ毛の部分を作る)は1500人余、
経済産業大臣が認可した伝統工芸士(40〜50年筆作り一筋に取り組む人)は15人で
全国の書道家の特注品の制作などを行ない そういう筆は20〜50万円クラスです。 |
 |
 |
 |
イタリアンレストラン |
ミュージアムショップ |
展示室は主に地階にあります |
筆の里工房はバラエティに富んだ企画展を開催しています
入場料は常設展のみですと300円ですが 今回企画展が行なわれていたので500円でした。
他に夏休みはイベントとして 化粧筆使用してのメイクアップ講座、スケッチ教室、親子で歩く筆の里
弦楽四重奏団コンサートの他 絵てがみ体験、手描き友禅体験 筆づくり体験等も行なわれるようです。
筆の歴史をはじめ筆から生まれる書、画、化粧、工芸、遊びなど、
筆の広がりの世界を見て、触れて、体験することができる施設でした。
筆の里工房 広島県安芸郡熊野町3115-1 http://www.fude.or.jp/
9:30〜17:00(入館は16:30まで) 休館日
月曜日(祝日の場合は翌日)
|
|
◆◆ 建物を出て 時間をかけて“筆の里熊野”を散策しました。 |
|
|
 |
 |
|
坂面大池 (さかづらおおいけ)
筆の里工房から見えるのがこちらの池です
高台にあるこの池の遊歩道 歩くには気持ちよく
熊野の町も一望できました。 |
水辺のギャラリー
毎年9月 筆まつりで開催される大作席書の作品の縮刷版が
石碑にされて 坂面大池の周辺に並んでいました。
|
|
 |
|
榊山神社 |
|
榊山神社は承平3年(933) 宇佐八幡宮より勧請された古社と伝えられています。
宇佐神宮級の大きな神殿が (地味と言っては悪いのですが^^;)熊野の田舎町に
あるのですから凄いですよね。
神殿は近代寺社建築の初期例として貴重な存在で
装飾も秀麗で町の重要文化財になっています。
筆の商売が広く行なわれ 国内諸藩との交易が盛んだったのか
神社の周囲や石段の寄贈碑をじっくり見て歩くと
大坂、奈良や尾道などの豪商の名も見られました。 |
 |
 |
 |
 |
|
|
 |
 |
 |
 |
|
 |
 |
筆塚(←写真左)
筆の精と祖先の威徳に対し感謝を込めて 建立されています。
同じ筆の里である 旧川尻町(現呉市)にも 同じような筆塚があります。
(書は 広島県竹原市出身の池田勇人元内閣総理大臣です) |
|
筆まつりの時は 筆塚で
「筆供養」が行なわれます。
筆供養の場(写真右→) |
 |
|
 |
|
熊野本宮社 |
|
 |
 |
熊野本宮社は 養和元年(1181)紀州の
熊野大宮社より勧請されたと伝えられます。
三重県に熊野市がありますが ここ熊野
はそちらと関係があった訳ですね。
熊野は江戸時代は豊かな穀倉地帯だった
ようで宮島へ多くの米を奉納していました。
それ故、宮島の管絃祭では 見物に来た
熊野の衆は 当日の宿泊を特別に
取り計らってもらっていたそう。 |
 |
 |
 |
|
|
熊野町郷土館 |
|
 |
ここは熊野町の筆通り(中溝通り)と呼ばれる 昔ながらの
町の中心に位置しています。
大正時代は造り酒屋だった建物で 筆問屋の店先を再現して
筆の展示や熊野町の民俗資料が数多く展示されていました。
入場が無料というのも嬉しいですね。
玄関にかかる看板は 山本空外の書 |
|
 |
 |
熊野町に筆作り事業所は100以上あります。
筆の工場見学が可能なのは下記の10社(2007/7現在)で
(史芳堂筆舗 丹精堂 平尾文明堂 広島筆産業 竹宝堂
長栄堂 彷古堂 瑞穂 一休園 久保田号)
平日を中心に10時〜15時であれば見学可能なようです。
郷土館では 筆工場見学マップも用意されていました。
毎年9月23日(祝)には“筆まつり”も開催され 約20畳の布に
書家が大筆で文字を一気に書き上げる「大作席書」や 露天に
市が並び「筆の市」毛筆 画筆 化粧筆が半額近くで買えます。
(筆の市は 榊山神社下の筆塚から宮の前通りに並びます)
熊野町の人口の2〜3倍の 6万人の観光客で賑わうそうです。
この日は学校のグラウンドが駐車場になり バスでピストン
輸送するとの事です。
筆まつり http://www.kyosai.or.jp/~kumano/ |
 |
|
 |
 |
熊野の筆は 江戸末期に始まり170年の歴史があります。
幕末期となると幕藩体制がゆらぎはじめ
貧しい農民が農閑期に近畿方面に出稼ぎに行き易くなり
奈良で筆や墨を仕入れ行商すると共に 摂津で筆作りを学んだ
若者が村人に筆作りを教えて販売するようになり
浅野藩もこれを奨励した事で発展しました。
明治になると学校制度が始まり 書写・習字教育が行なわれ
筆作りは飛躍的に発展しました。 |
|
筆問屋の様子です |
筆造りの道具展示がここにも |
|
大正、昭和になると他の生産地は筆作り以外の産業が発展し
ますが 盆地で鉄道もない熊野は 近代工業が進出する事なく
ずっと筆作りが続きました。
画筆や化粧筆の生産は戦後になってからの事です。
会社組織に発展したのは昭和30年代以降の事で
それ以前は家内工業的形態であったようです。 |
 |
 |
|
筆問屋の百タンス 郷土館の方が詳しく説明して下さいました |
|
 |
|
 |
 |
熊野の町場には毛を作る所、軸を作る所など、近代化以前は
それぞれ分業で担っていた工房が存在していたのですが
会社組織になるとどうしても 自分の所の技術は自社で囲って
しまうので 技術の共有がなされず、若い後継者も少ないのが
悩みだそうです。(筆の穂首を全部一人で作れるまで最低10年
の経験が必要)
熊野筆の殆どは手作りで 軸の一部以外機械化は困難です。
最近は安価な中国製の台頭に 頭を抱えているようですが
熊野筆は 格段の品質の良さを誇ります。
熊野は全国生産の80%以上を占める筆の生産地ですが、
筆の卸・小売り店舗はそう多くありません。
販売形態が 東京大阪京都など大都市圏の文具商 画商
筆問屋、書道用品店 百貨店などを周る出張ルートセールス
であり 熊野筆商人は 1週間〜10日位で販路を巡回します。 |
|
 |
 |
|
熊野町出身の童謡作曲家 坊田かずまの展示も |