岡山市から総社市にまたがる吉備路というエリアは、
古代吉備王国時代の中心地だったと考えられていて 史跡の多い所です。

こちらのサイトでは 作山古墳、備中国分寺、吉備津神社、吉備津彦神社と 
西から東へご案内いたします。
 
  作山古墳
 総社市南東部に位置する作山古墳は 古墳時代中期の前方後円墳で 国の史跡に指定されています。
 低い独立した小丘陵を削り整形、加工した所に築造されており、墳丘の長さは約286m、後円部の最高地点24m・直径174m、前方部の長さ110m、前面部幅174m、高さ22mです。 

 古代吉備王国に君臨した豪族の墓と思われており、小さく見える古墳ですが それでも全国では9位の規模を持っています。
  備中国分寺
 続いて総社市の備中国分寺を訪ねました。

 この寺院のある周辺一帯は かつて邪馬台国と肩を並べる程の勢力を有した古代吉備王国の中心地であり 古代の古墳や遺跡が多いエリアです。
 狭義には岡山市北西部(足守・高松・真金・一宮の一部)から総社市にかけての一帯で 俗に“吉備路”と呼ばれています。

 吉備路のシンボル的な存在で、吉備路の中心地区となっているのが備中国分寺です。
 聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借り 天災や飢饉から人々や国を守る事をを目的に建てられた官寺の一つです。
南北朝時代の戦乱による焼失後、一時は廃寺となってしまい
江戸時代に現在の備中国分寺が再興されました。
 南北朝時代の戦乱による焼失後、一時は廃寺となってしまい
江戸時代に現在の備中国分寺が再興されました。
創建当時の境内は、東西160メートル、南北178メートルと推定されますが、一部を除き建物などの正確な位置や規模は明らかではありません。
 現在は真言宗御室派に属し山号は日照山です。境内は国の史跡に指定されています。

 五重塔は、南北朝時代の戦乱によって1度焼失しましたが
1821年(文政4年)から約13年をかけた弘化元年(1844)頃に再創建され、高さが34.32m。 塔は屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔です。

 岡山県唯一の五重塔でもあり 国指定重要文化財です。
木造、3間四方、瓦葺、青銅製の相輪となっています。
3層まではケヤキ材、4、5層は松材が主体です。
そして五重塔の初層四面 頭貫の上には12支の禽獣彫刻があります。
アカマツに包まれた丘陵地と長閑な田園風景の中に建つ国分寺五重塔、
野の草花がこれほどマッチする五重塔も珍しいのではないかと感じました。
  吉備路もてなしの館 山手
 総社市観光拠点施設である “吉備路もてなしの館 山手”に立ち寄りました。
備中国分寺の真向かい(岡山県総社市宿)に位置し
五重の塔を眺めながら 休憩や地産地消の食事ができます。

 吉備路風土記の丘県立自然公園内に 7年前の2004年春にオープンした施設で 「ここに来れば、吉備路がわかる」がコンセプトとなっています。 館は木の香りや温かみを感じられる作りで もちろんバリアフリー!。

 地域土産品の販売や、地元野菜の販売も行われており 小さな道の駅といった感じで、私が行った日も多くの観光客、サイクリングを楽しむ人達が立ち寄っていました。
 総社市の観光など 有益情報を入手できるスポットとあって 備中国分寺を訪ねるなら併せて立ち寄る事をお勧めします。
  吉備津神社
 吉備津神社は、岡山市中心街から約6km北西 岡山市北区吉備津に位置する 大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の神社です。
 本殿拝殿があり国宝に指定されていますが
それよりも 吉備津神社は長い回廊が圧巻であり 各旅行雑誌や岡山の旅のポスターで 一度くらいは皆さんも目にしているのではないでしょうか。
古来より、吉備国開拓の大祖神として崇拝されていました。

 主祭神・大吉備津彦大神は、日本書紀では崇神天皇の代に、
北陸・東海・西道・丹波の四道に派遣された皇族将軍の一人とされ この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造ったようです。
 延喜式神名帳には吉備津彦神社とあり、かつては吉備津彦神社とも称していましたが、現在は吉備津神社を正式名としています。

 釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで著名な
神社です。
 現在の本殿拝殿は 今から約600年前の室町時代、足利義満将軍の頃に
約25年の歳月をかけて応永32年(1425)に再建されました。

 2008年に 50年に一度の檜皮屋根の葺き替えが行われたようで、まだ綺麗でした。
 母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び桧皮で葺き、一つの大きな屋根にまとめた豪壮な社殿は、「吉備津造り(比翼入母屋造り)」と云われるもので 棟は上から見ると片仮名の「エ」の字型になっています。

 本殿拝殿は、四道将軍大吉備津彦命を主神として、若日子建吉備津彦命、吉備武彦命など吉備氏一族の神を合祀しています。
 本殿の大きさは桁行き約14.6m、梁間約17.7m、棟高(土台下端から箱棟上端まで約12m、建坪約255uの大建築であり、京都八坂神社の次に大きい規模を誇ります、
意外かもしれませんが出雲大社の倍以上の広大さがあります。
 総延長398mの見事な回廊は 本殿、御釜殿など社殿群を繋ぎ両下造の本瓦葺になっています。

 岡山県の重要文化財にも指定されています。 
多くの人がこの場所で立ち止まって眺めている程 美しい眺めでした。

 同じ中国地方には 宮島・厳島神社の海上に張り巡らされた朱塗りの回廊がありますが
吉備津神社の 緩やかな傾斜が続く長い回廊の屋根の曲線美も負けず劣らず素晴らしく
地形を生かして 何処よりも違った風情を醸し出している回廊は必見です。
静かな境内の中、ゆっくりとパワースポットの中で命の洗濯が出来た感じです。
“晴れの国・岡山”の神社らしく日が割りとよく差し込むので 全体に明るい印象を感じました。
今度行く機会があれば 鳴釜神事も併せて見たいですね。
  吉備津彦神社
 吉備津神社から東南に約2kmの地点 岡山市北区一宮にある吉備津彦神社も訪ねました。旧社格は国幣小社。
「朝日の宮」(あさひのみや)の別名があります。

 大化改新の後 吉備国は備前・備中・備後に分かれますが
備前の国一宮として崇敬されるようになりました。
神池と中島で構成された三島式庭園もこの神社の見所の一つです。
 社伝では推古天皇の時代に、神体山と仰がれる中山の麓の、命の住居跡に社殿が創建されたのが全ての始まりです。
朝廷より篤く崇敬され、承和7年(840年)には一品の神階を受けています。
 中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けました。
 昭和5年(1930年)12月、失火で本殿と随神門以外の社殿・回廊を焼失し、現在見られる社殿は昭和11年の完成です。

夏至の日には太陽が随神門正面から昇り、社殿の後ろに沈む事で朝日の宮とも呼ばれています。

  主な祭典
     8月2、3日 : 御田植祭
     10月第3土・日曜日 : 秋季例大祭
     5月5日 : 子安神社大祭
参拝者はそれほど多くはありませんが 境内は広く美しく
芸能や勉強、出世祈願などで訪れる方も多いようです。
霊感のある方ならパワーを感じることができるかもしれません。


 吉備路というエリアは 奈良県の飛鳥地方の雰囲気と少し似ていて、「何もないと感じる人には何もない場所」に思えるかもしれませんが 歴史好きの方にお薦めしたいエリアです。
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