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 静岡県浜松市....。
東海道山陽新幹線筋で 私が途中下車していない唯一の主要都市だったので
浜松の街歩きをしてみたいと思い 降りてみました。
 
  浜松駅を中心に

 浜松は、静岡県西部(遠州地方)にある都市で 東京と大阪のほぼ中間に位置しています。
近年、全7区から構成される政令指定都市に昇格し、人口は約80万人に達しました。
戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町として栄えました。

明治以降の新しい世の中になると ピアノを初めとする楽器工業、オートバイ工業が勃興し ヤマハ、カワイ。スズキなどの世界的企業が この浜松に集積するようになり、日本有数の産業都市として街は栄えていきました。

県庁は静岡市ですが 浜松市はそれに拮抗出来る都市規模を持ち ライバル意識を持っているようです。
浜松駅
北口には駅ビルがあります。MayOne」(メイワン)という名前の由来は オープンが5月1日だったからという話があるようです(^^)。
駅前広場には円形バスターミナルが設置され 交通の要です。

浜松市観光案内所で みどころ情報を入手し 町を散策します。遠州の中心都市だけに 情報も豊富にありました。
浜松といえば 有名なのが う・な・ぎ!
浜松市内にはうなぎ屋の数が 人口に比べてとても多く (浜松市内のコンビニは296店舗・うなぎ料理店が158店舗(2009年9月現在)) 観光案内所では うなぎの味どころマップもありました。

やはり浜松のうなぎは美味しい!


浜松の繁華なエリア
名古屋市と静岡市に挟まれた浜松市の地理的要因もあり、西武百貨店・丸井は撤退、
地元資本の百貨店・松菱は経営破綻し、中心繁華街の衰退が顕著となって
現在浜松市内のデパートは浜松駅前の遠鉄百貨店だけです。
物販の郊外化により、中心商店街の空き店舗が料飲店に鞍替えされ、歓楽街化が進んでいます。

浜松市は人口規模に較べ、中心市街地の規模は大きくないのは否めません。
その理由が モータリゼーションの発達によって市街地が郊外に分散しているためです。
イオンなどの郊外型ショッピングモールが多く立地しているため、
中心部になかなか人が集まらず街が栄えないようです。

器作りの街だけに 楽器博物館が存在!
自動車、バイク、ピアノの大企業が多く 全国及び海外から優秀な頭脳が集まっているためか 市民気質は開放的で 余所者でも受け入れられ易いという土壌があるとか。
アクトシティ浜松
浜松駅の東側に 東海地区の超高層建築の初陣を飾ったアクトシティ浜松があります。
名古屋の駅ビルが建つまでは 東海地区で最も高い建築物でした。

但し、新幹線からは見辛い位置に建っているので 浜松の超高層ビルがある事実を知らぬ人も多いとか....。
建物はハーモニカをイメージしたデザイン。

アクトシティは元貨物駅の場所に建てられました。
ホールの稼働こそ まあまあらしいですが、ホテルの稼働は今一歩のようです。
展望回廊に上がってみましょう。
アクトシティ展望塔より望む 浜松市街地

近年、政令指定都市になり 駅前の再開発が進み、高層マンションなどが増え立派になりましたが、
中心街の広さは1キロメートル四方と 都会と呼ぶには狭いかもしれません
浜松は旧藩時代までは 掛川藩と大差ない小さな宿場町だったものが、
みるみる巨大都市化して、県庁所在地の静岡市を追い抜く規模に成長しました。


雪害はない、台風の被害や、水不足も滅多にない。
東京と大阪の中間に位置して交通の便も良好です。

 浜松城へ
続いて 浜松城を訪ねました。
浜松城は静岡県浜松市中区にある城郭で、野面積みの石垣で有名です。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれました。
場所は浜松駅から北西方向に約1.5q 浜松市役所の北西隣に位置しています。

公共交通機関を利用するなら 浜松駅バスターミナルより遠鉄バスで 市役所前・市役所南・美術館・浜松城公園入口の何れかで下車。(浜松駅〜市役所間 バスは頻回にあり)

浜松城とその周り一帯は 浜松城公園として整備され 浜松市美術館や日本庭園などもあります。
周辺は春は桜の名所としても知られているようですが 私が訪れたのは夏だったので、広場にもあまり人はおらずセミの鳴き声が響いていました。

公園内の天守の麓に徳川家康像があります。
家康は29歳〜45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。

この期間中に 姉川、長篠、小牧・長久手の戦いが勃発し、元亀3年(1572)の三方ヶ原の合戦は、関ヶ原の合戦以上の激闘でした。家康の浜松在城17年とは まさに試練の17年間であり、徳川300年の歴史を築く基礎になったといえるかもしれません。
自然石を上下に組み合わせて積む堅固な野面積み
400年以上風雪に耐えて、当時の面影を良く残しています

荒々しく積みあげられた石垣だけでも、一見の価値があります。
ここでハートの石を発見出来たら、素敵な事があるかもしれません(^^)

1958年(昭和33)に建設された鉄筋コンクリート製の復興天守閣が建っており、
天守閣内部は資料館となっています。それでは天守閣に向かってみましょう....。

浜松城天守閣の再建は昭和33年。この頃の日本の城郭は再建ブームとなっており 浜松もそれに呼応してといった感じだったのでしょうか。但し予算が足りず 一回り小さく再建された、との事で しかも再建天守自体がかなり小さいものなので 迫力には欠ける感もあります(失礼)。

それでは浜松城は何万石か?
それは時代によって異なりますが2〜7万石、概ね5万石程度だったといえましょう。

江戸265年の間に浜松藩の藩主は22人、約12年弱毎に藩主が変わっています。
天守閣内部は資料館として使われており、家康を初めとした当時のゆかりの品々を見学出来ます。
永禄11年(1568)徳川家康は 三河から東進し、今川領の制圧を開始しました。
家康は、駿府に攻め入った武田信玄に備え、遠江一帯を見渡せる三方ヶ原の丘陵に目を付け 天下を盗るために、信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方ヶ原の丘陵の東南端に浜松城を築城し、ここを拠点としました。

浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。
台地の斜面に沿い、西側の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東に三の丸と、一直線に並ぶ、梯郭式の築城となっていました。

徳川家康が駿府城に去った後の浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。
歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多かったので、
浜松城は「出世城」と呼称されるようになりました。

浜松城は明治維新後に廃城となり壊され荒廃していましたが、
城址は昭和25年に「浜松城公園」となり、昭和33年に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建されました。
翌 昭和34年には浜松市の史跡として指定されました。
大天保年間(1830〜43)の浜松城と城下町の様子を縮尺600分の1で再現。

天守閣の入場料200円で、内部に展示されている徳川時代の武具を見て、
天守閣の最上階から町を見渡す.....定番ですが楽しめました。

徳川家康がこの城から出世するなど、歴史的背景や城の情報などは天守閣内に色々と展示してあるので、
歴史好きの方なら充実した時間が過ごせるかと思います。
休日だと『出世大名 家康くん』と いう “ゆるキャラ”が いることも あるようです。

平成27年は家康公四百年祭です


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