広島県江田島 広島市や呉市の対岸に位置するこの島は
戦前は海軍兵学校が置かれた島として有名です。
広島湾に浮かぶ 瀬戸内海でも4番目に大きな島で 島の総人口は約3万人
かつては江田島、大柿、能美 沖美の4町がありましたが 平成の大合併で江田島市になりました。
旧海軍兵学校を中心に 巡ってみました。
 
  旧海軍兵学校(海上自衛隊第一術科学校と幹部候補生学校)を見学
 江田島には、海上自衛隊第一術科学校と幹部候補生学校(旧海軍兵学校)があり、一般の人でも 個人なら予約無し(当日の受付のみ)で見学する事が出来ます。

 その昔は軍人を育成した兵学校だったもので 校舎や講堂など諸々の施設は 大変な予算を継ぎ込んで造られていました。

 100年以上の年月を経た現在も ほぼ当時そのままの姿を留め
威風堂々と佇んでいる構内の建物、よく手入れされた樹木や芝生、塵一つ無い校庭など “秩序・規律をイメージする厳格な場所”という印象を誰もが受けると思います。
 こちらの見学は 昭和35年から海上自衛隊の広報の一環として始まったもので、延べ見学者数は、450万人(平成21年末現在)を数え、年間約7万人が来訪する 江田島を代表するスポットとなっています。
 開始時間の30〜5分前に正門で受付を済ませ、時間まで江田島クラブ1階(見学者控室)で待つ事になります。

 通常の観光地と異なり 海上自衛隊の教育施設の一部を見学するというものなので、見学者の安全確保、構内警備等の観点から、案内人(海上自衛官OB)の引率による 団体行動での見学となります。
見学途中でのお帰りは原則禁止との事。
 見学所要時間は約1時間30分です。
歩行距離にして約1,200m 勾配などは全くありません。

 目の前に見えている古鷹山は 生徒を体力作りのために登山させる山で、
戦前は教官が棒を持って生徒をスパルタ教育で登山させていたそうです!....。

 教育に専念できる好環境との意図で、海軍兵学校が東京・築地から広島県江田島に移転したのが明治21年。
米国のアナポリス、英国のダートマスと共に 世界三大兵学校として世界に数えられるようになり、
昭和20年の日本敗戦により歴史の幕を閉じるまで 数多くの海軍将校を世に送り出しました。
大講堂…大正6年(1917年)の竣工です。
山口県周南市の黒髪島の御影石を使っており(国会議事堂と同じく) 白く美しく輝いています。
屋根は銅でふいているので緑青色です。
 大講堂内部の建坪は約500坪 収容人員が2000名、
講堂内の天井はドーム型で 舵輪型のシャンデリアが設けられ 海軍兵学校時代には
天皇陛下の名代として宮様の臨席を仰いで  厳粛に入校式や卒業式がおこなわれたそうです。現在も入校式、卒業式、表彰式に使われます。

マイクを使わなくても良いほどに、音響効果はよく考えられています。
儀式等がなければ内部も見学可能です。
 昔日の壮麗な帝国海軍の面影を感じる事が出来ましたが 
戦後 連合軍は何と教会として使っていたそうです。 
荘厳で格式のある造りだっただけに 解る気もしますね。

 大講堂を出ると、幹部候補生学校が目の前にあります。
候補生学校の建物の長さは144mの非常に長い建造物ですが、
世界最大だった戦艦大和は この校舎の2倍の長さを有していたそうです。
(外観のみの見学となります)
 明治時代の赤煉瓦の校舎は 幹部候補生学校校舎(海軍兵学校生徒館) です。

 建物は明治26年竣工。英国から軍艦で輸入した煉瓦が使われています。
煉瓦の質が良いので現在も大変綺麗で 長い年月を経た現在も表面がボロボロになっていません。
相当に高級品だったようで 英国から煉瓦は一枚一枚油紙に包まれて運ばれたそうで  当時の大工の日当よりもこの煉瓦のほうが高額だったようです。

 明治半ばは 東洋の貧乏国以外の何物でもなかった大日本帝国ですが 何とか欧米列強に早く肩を並べたかったようで、この施設に巨額投資するなど 軍事に力瘤が入っていたのが解る気がしました。
女人禁制の学びの園だけに 敷地内に植えられている松は殆ど黒松(男松)ですが、
この写真の真ん中の1本だけが赤松(女松)との事です。
 煉瓦にはイギリス式とフランス式がありますが、ここには双方の煉瓦の建物があります。

 一直線の廊下も絵になります(左写真)。
 「海兵」と呼び習わされたこの兵学校は 国内最高水準のエリート校で 全国各地から16歳以上の優秀な男子が集いました。
募集人員が少なかった昭和9年〜13年までは 入学試験の倍率も20倍を超え 明治・大正時代には ここに入る為の予備校的な学校(旧制中学)までが 全国に存在したそうです。

 専門知識はもちろん 海軍将校として何処に出しても恥ずかしくない礼儀作法や教養など 人格全般にわたる教育が行われ 卒業生は戦後も各界で活躍しました。
 大戦中は 英語は敵性語として公の教育現場からは排除されましたが ここでは例外的に継続されたとの事です。
 現在ここでは 防衛大学校、防衛医科大学校および一般大学の卒業生、航空学生、海上自衛隊の部隊から選抜された者、公募された幹部が 海上自衛隊の幹部となるべく学んでおり、
それぞれ数週間から1年程度の期間教育を受けます。 

 海自の術科学校には第1術科学校(江田島)、幹部学校(東京都目黒区)、第2術科学校(神奈川県横須賀市)、
第3術科学校(千葉県柏市)、第4術科学校(京都府舞鶴市)があります。
江田島では砲術、ミサイル、掃海などを学びます。

 江田島の地に海軍兵学校が選ばれたのは 軍艦の停泊できる入江があり 気候が温暖で安定しており 世事の外聞を避けて精神勉励の一途に赴く事が出来る環境があったようですが 現在なら一台リゾート地に選ばれても異存がない好環境ですね。
なんだか空間に拡がりが感じられるナと思ったら 敷地内部には電柱がありませんでした。

戦前に地中化工事が施されたとの事です。
 第1術科学校の前に サッカーグラウンド2面分程度の芝生が広がっています(写真左)。

このグランドの手入れも 生徒自らが行うことになっているようで、厳しい教育のためか 他校の芝生とは異なった清廉が保たれていると感じました。
突き当りには教育用の艦船が接岸できるようになっています。
 最後に見学する『教育参考館』は、日本帝国海軍の栄光と終焉の史料館です。

 海軍の歴史と伝統保存、自己修養と学術研鑽の資とすることを目的に 昭和11年に海軍関係者や財界などの寄付金によって建設されたものです。
外観は古代ギリシャの神殿を模したかのようで 重厚感に溢れています。

終戦により海軍が解体されましたが その時に当館も閉館されました。昭和31年に連合軍から返還された事で 海上自衛隊施設となりました。
旧海軍関係の資料など約16,000点保存されているとの事ですが、そのうち展示されているのが1/12の 約1,270点との事です。
 海軍の軍人が神聖な場所として遺徳を偲んだ教育参考館は
現在も海上自衛隊員の心の教育の場として復活したものです。

 海軍の歴史に関する貴重な資料は、東郷元帥や広瀬中佐を中心に先人の偉業が1000点以上も展示されています。
脱帽で入館し、こちらは内部撮影禁止です。

 戦争の悲惨さ、亡くなった方の無念さを肌で感じることの出来る場所です。是非一度訪れて、平和の尊さを考えてみるのもいかがでしょうか。

慰霊の場でもあるため タンクトップ、ノースリーブ、キャミソール、短パン(大人)、ダメージジーンズまたは破れたズボン、極度に丈の短いスカートなど 品の無い格好では入場をお断りされます。
特殊潜航艇・海龍は 艇に細長い穴が空いており、内部の構造が見られます。
左から3枚目が戦艦大和の主砲砲弾
ハワイ真珠湾攻撃から活躍した特殊潜航艇も展示されています。

左は36cm一式徹甲弾、左から2枚目は駆逐艦・雪風の主錨です。

 海上自衛隊第一術科学校と幹部候補生学校(旧海軍兵学校)見学は 上写真の「江田島クラブ」で 集合 解散となります。
ツアーの後は自衛隊内食堂・売店の利用も可能です。

 土産物売り場では自衛隊のマークの入った制服、帽子や、お菓子など 様々な記念品 お土産等が売られています。
商品価格も隊外より安いのです。
江田島限定品が意外と豊富でしたし 良い記念になると思います。
 食事のできる場所は『レストラン江田島』と『さくら』です。写真はレストラン江田島
(旧海軍兵学校見学前に食事する際は、正門受付時、食事後に見学する旨を伝えて入場) 
基本的なメニューなら一通り揃っていますが 知名度の高いメニューは やはり「海軍カレー」(550円)でしょうか。
 見学時に案内してくれた自衛官OBの方によると、長い洋上勤務では曜日感覚が希薄化して、
さらに潜水艦では昼夜の感覚も無くなるので、金曜日の夜にはカレーを出す事を固定して、
曜日の感覚を呼び戻せるようにしたとの事です。
 江田島クラブと受付入口の中間にも 売店と食堂があります。

 こちらにはコンビニのポプラが自衛隊内支店を設けています。
コンビニは全国共通でしょうが このショップだけは自衛隊内らしい品揃えが僅かに見られます...。

制服などを誂える洋服店もありました。
こちらには『さくら』食堂があります(写真左)

自販機もありますが 各種ドリンクが80円だったりします。

 我々は自衛隊内部に入る機会がなかなかありませんが ここに来れば 自衛隊に関する理解を深める事が出来ます。特に江田島は世界三大兵学校としての歴史資源が圧巻。近くに住むなら 一度は足を運んでも良いのではと感じました。
  江田島ところどころ
 秩序・規律をイメージする厳格で立派な兵学校の 壁の外には
ややみすぼらしい(失礼) 江田島の町並みが広がっていました。
古鷹山の山裾には段々畑が広がり 広島ミカンなどが栽培されています。

 江田島の町並みの真ん中に位置する「学びの館」に立ち寄ってみました。この資料館は、江田島の歴史と文化を後世に伝える場、そして市民の体験学習の場として建てられたようです。
 
1階が展示室・体験学習室・学習室(和室)、2階に展示室・研修室があります。外回りは 四季の美しさを凝縮した日本庭園で囲まれていました。
 海軍兵学校の見学時間が来るまでに まずはここに30分程度立ち寄って 江田島市の沿革、歴史などをざっと頭に入れておくと良いと思います。
 どうしても温泉&サウナに立ち寄りたかったので
日帰り温泉施設の「シーサイド温泉のうみ」に寄ってみました。

 シーサイドと銘打っているだけに ヒューマンビーチ長瀬という海水浴場が目の前にあります。
能美島の江田島湾長瀬海水浴場の脇にある温泉施設が「シーサイド温泉のうみ」です。
 1708メートルの地下から湧き出る温泉は源泉温46℃を誇る 瀬戸内側には有数の温泉だそうで、広島・宇品からのフェリー寄港地で立地もいいことも相俟って 人気のある温泉施設です。

 思っていたよりも大きな温泉施設で 1階には受付、売店、レストランがあります。売店は地産地消をコンセプトにしているかのようで 地元産品が大変充実していました。
 ろ過循環式の温泉ですが 浴室内は割と広く、
海側の大きなガラス窓の方にある湯舟はゆったりしています。
そして浴室の奥側にはサウナも。

 浴室内はゆとりのある設計となっており。
湯船から眺める海の情景が 心を癒してくれるようです。
洗い場は一つ一つに仕切壁が設置され 
リンスインシャンプーやボディソープも備わるのが嬉しい。
外のベランダ状に突き出した場所に露天風呂、うたせ湯があり 
眺めのよい岩風呂といった感じにしつらえてありました。
効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、痛風など
ヒューマンビーチ長瀬という海水浴場が下にあります。
海で泳いだ後に立ち寄るには絶好で
夏はレジャー帰りの家族連れや若い世代で賑わうのでしょう。
能美海上ロッジより 西能美島方面中田港を望む
ここは北岸にあるので 広島・宇品への旅客船が寄港します。
左手には江田島市役所のある主邑・能美の市街地があります。
  瀬戸内海の幸を 安く腹いっぱい食べる
 江田島市江田島町江南〜江田島市大柿町飛渡瀬は 交通の結節点で ゆめタウン江田島などがありますが その近くに「海辺の新鮮市場」があります。 ここで刺身定食を頂きました。

 1F販売コーナーで好きな刺身を選び、代金を払って2Fの食堂にあがります。
これにセルフサービスで、魚の炊き込み御飯と味噌汁、漬物を加え、刺身定食となります。
刺し身+味噌汁+炊き込みご飯で850円という値段!魚の炊込み御飯と味噌汁は食べ放題です。
鯛めしはダシがよく効いており最高 魚のアラの味噌汁も絶品! 昼11時半(海自見学前)に行くと良いでしょう。
  早瀬大橋
 江田島市へは かつての能美島南部と倉橋島(呉市音戸)が 早瀬大橋で結ばれ、その倉橋島も音戸大橋で本州と繋がっているので 無料で車で行く事が出来ます。
早瀬大橋は昭和48年に開通した橋で 車で渡っても無料です。
 江田島は四季を通じて温暖で雨も少なく 台風も少ないとあって マラソンやウォーキング かき祭りほか 一年中何かしらのイベントが催され 多くの人が集まっています。
 風光明媚な島ですので 車で走る時には 行きは県道44号線、帰りは国道487号線を利用すると 良いと思います。

 食べて観て そして温泉。
江田島は様々な魅力を満喫できる島でした。


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